《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】

おはようございます。
今日は、くりぃむしちゅー有田哲平さんの新しいYouTubeチャンネル「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」を紹介したいと思います。


www.youtube.com

有田哲平さんのプロレス好きは有名で、僕も「有田と週刊プロレスと」は、プライムビデオで、シーズン4まで、全部観ました。

このブログの「僕と新日本プロレスと」もそこから名前をつけさせてもらいました。

僕は、アントニオ猪木長州力など昔のプロレスが好きで、有田さんも割と80年代のプロレス話をされるため、有田さんのプロレス番組は、好んで観てます。
プロレスの事を面白おかしく、話してくれるのと、世代も近いので、共感することが多いです。

この新しい番組の第一回目は、1.8の新日とNOAHの対抗戦の話でしたが、僕も、1.4、1.5、1.8は、新日本プロレスワールドで、全部ではないですが、観ていたので、楽しく観ることが出来ました。

面白そうだったので、チャンネル登録もさせてもらいました。

80年代、90年代の話題もこれから話してもらえると嬉しいです。

宜しくお願いします!


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アントニオ猪木「最後の闘魂」を読みました

おはようございます。

今日は、セブンイレブンアントニオ猪木の「最後の闘魂」を購入しました。価格は850円でした。

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内容は猪木の名言集《猪木語録》みたいなもので、構成は以下のようになっています。

 

第1章 「生きる」とはなにか?《全18語録》

第2章 夢がなければ夢をつくれ《全16語録》

第3章 勇気を持て、限界を決めるな《全15語録》

第4章 プロ意識が人を大きくする《全16語録》

第5章 「勝負」とは勝ち負けではない《全14語録》

 

ページを開くと、右側のページに猪木語録が大きく書いてあり、左側のページにその解説が書いてあります。この解説も一人称となっているので猪木が書いたのでしょうか?

こういった感じです。

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苦しいときにはこの本を読み直して、僕も頑張っていこうと思わせる本だったと思います。

 

猪木さんは現在病気と闘っていらっしゃいますが、是非とも復活してまた元気な姿を僕達に見せて欲しいものです。

 

まだの方は是非読んでみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回IWGP優勝戦《猪木舌出し失神事件》

第1回IWGP勝戦猪木舌出し失神事件。

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IWGP決勝リーグ戦

IWGP決勝リーグは5月6日 福岡スポーツセンターで開幕した。開幕戦の目玉カードは、猪木とアンドレの対戦だったが、猪木がショルダースルーでアンドレを投げた際、アンドレの体が場外フェンスを越えてしまい、猪木のオーバー・ザ・フェンスでの反則負けとなってしまった。
当時の新日本プロレスには、リングと観客席を分けているフェンスを自分から故意に越えていった場合と、故意に相手をフェンス外に出した場合は、その時点で負けが宣告されるという不可解なルールがあったのである。
(この不可解なルールは、第2回IWGP決勝での大暴動の後、不透明決着の根源であるとファンに指摘され撤廃されることとなる)

開幕戦からアンドレが着実に勝ち星を伸ばす中、それを追う猪木とホーガンのリーグ戦での初戦は5月19日 大阪府立体育会館で行われた。
白熱の攻防だったが、場外でホーガンが猪木を担ぎ上げると、リングサイドで試合を見ていたアンドレがフェンスの外に飛び出した猪木の足先を捕まえて引っ張った。猪木とホーガンは2人とも、もつれるようにフェンスの外に飛び出してしまった。結局2人は勝ち点を伸ばせず、アンドレの一人勝ちが濃厚になっていった。

そんなひどいやり方のアンドレの優勝決定戦進出を阻んだのは、キラー・カーンだった。優勝決定戦前日の6月1日 名古屋・愛知県体育館で文字通りアンドレの足を引っ張り続けて両者リングアウトという共倒れを選んだのである。
結局アンドレは勝ち点36の3位でリーグ戦を終えた。これにより、翌2日の蔵前での優勝戦は勝ち点37点で並んだ猪木vs.ホーガンに決定した。

決勝の相手が、アンドレであれば、猪木の勝利は難しいと思われたが、ホーガンであれば猪木の完全勝利になるとファンの全員がそう思ったのではないだろうか?
延髄斬りからの卍固めで試合終了、この結末を全員がイメージしていた。
当時のホーガンはまだ全米進出のブレイク前で、どちらかと言うと猪木のタッグパートナーであり、必殺技のアックスボンバーもハンセンのウエスタンラリアートの二番煎じで、「イチバーン」の掛け声で人気はそれなりに出つつあったが、まだまだ、アンドレやハンセンの域までは、達していなかった。

猪木が負けた

1983(昭和58)年6月2日 東京・蔵前国技館で行われた「第1回IWGP決勝リーグ戦」の優勝決定戦 アントニオ猪木ハルク・ホーガン戦は、ファンのイメージを大きく裏切る結末となってしまった。

試合は、ホーガンのパワーの前に大苦戦を強いられる猪木。試合終盤の場外戦で背中を向けた猪木の後頭部に、ホーガンがアックスボンバーを放つと、猪木は頭部を鉄柱に打ちつけ意識もうろうに。何とかエプロンに戻った猪木に、再びアックスボンバーが炸裂し、場外に吹き飛ばされる。集まったセコンド陣が猪木を担ぎリングへ戻したが、そこには舌を出して失神する猪木の姿が・・・

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ファンからの猪木コールに対し、「渇ききった時代に送る、まるで雨乞いの儀式のように、猪木に対する悲しげなファンの声援が飛んでいる」古舘伊知郎のこの名言が生まれた瞬間でもあった。

結局、猪木の意識は戻らず、そのまま21分27秒 KOによりホーガンの勝利。リング上で応急処置を施された猪木は、そのまま担架に乗せられ救急車で新宿の東京医科大学病院へ緊急入院となった。
この凄惨なアクシデントは広く世間の注目を集め、マスコミはこぞってこの「事件」を報じた。

演技か事故か

しかしながら、現在、この事件が猪木の演技であるとする声は多い。その根拠とされるのが「人間は失神した際には舌が丸まるのが一般的で、舌を出して失神することなどあり得ない」というものだ。

また「入院先の東京医科大学病院に弟を影武者として残し、深夜に極秘退院していた」「翌日、副社長の坂口征二が《人間不信》と書き置きを残して失踪した」などの関係者の証言もあり、IWGPハルク・ホーガンの価値を上げようとした猪木が、失神の演技を独断で行い世間の注目を集めようとしたのではないか?という疑惑がファンの間には浸透している。
しかし、当の坂口は「気絶した当初は猪木の舌は口の中にあり、セコンドの木村健吾に舌を出させた」と、猪木の失神が本当であったとする証言をしており、また、猪木自体も脳震盪を起こしたとだけ語っており、その真相は藪の中である。

猪木優勝のシナリオはどこで狂ったのか?

この「舌出し失神」について「猪木の独断で決行された」ことは、複数の関係者の証言を見れば「事実」と言えるのは間違いないだろう。
それならば、あの試合、当初のシナリオは果たしてどうなっていたのか?

1983(昭和58)年6月2日の木曜日 東京・蔵前国技館で行われたアントニオ猪木ハルク・ホーガンの第1回IWGP勝戦
この試合は、長い間プロレスは筋書きのないドラマのであることが、ファンの記憶に強烈に残り、語り継がれるインパクトを残した試合であった。
こういった表現を行うのは、今日では「予定調和を嫌う猪木お得意のサプライズをこれ以上ない見事なタイミングで表現したものだった」と、ファンの記憶に上書きされてしまったからである。

新間寿氏とアントニオ猪木が、3年越しの準備期間を経て、ついに実現したIWGP構想。猪木が時価1億円といわれた世界統一の象徴のベルトを巻く・・・リアルタイムで観戦していたファンは、そう信じて疑わなかったはずである。
当時、中学生であった私も、もちろんその1人であった。しかし、ホーガンのロープ越しのアックスボンバーで、猪木が舌を出して失神KOされ、救急車で病院送りとなり、ホーガンの優勝という、とんでもない結末となってしまった。

テレビでも猪木入院のニュースが

私は猪木病院送りのニュースを6月3日金曜日の朝、テレビで知った。その日の夜の「ワールドプロレスリング」では、猪木が舌を出し失神する様子を信じられない思いで見ていた。
猪木ファンにとっては、堪え難い光景だが、当時、私は「プロレスは八百長なんかではない。何が起こるかわからない命懸けの真剣勝負。この試合こそ、その証拠である。」と思わざるを得なかった。
また、そのように考えないと、猪木舌出し失神、病院送りの事実をとても自分のなかで受け止め切れなかったのである。これは私だけではなく、世の多くの猪木ファンが感じたことではなかったか、と思う。
しかし、それから約2年後、ファンの熱い思いを根底から覆される試練をプロレスファンは迎えることになる。

ミスター高橋本の衝撃

2001年2月ミスター高橋氏による『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』が刊行された。数多くの名勝負もショーだったという舞台裏が紹介されただけでも衝撃であったが、そのなかでも、ファンにとって以下の記述は、猪木舌出し失神KOの当時の衝撃を上回る衝撃だったのは間違いない。

《ロープ越しのアックスボンバーでエプロンからリング下に転落、頭を床に打ち付け、猪木さんが昏倒したシーンを覚えている方も多いだろう。結論から言うと、あれは猪木さんの一人芝居だった。いちばんシナリオが狂ってはいけない場面で最悪の事態を迎えてしまった。誰もがそう思っていた。もちろん相手のハルク・ホーガンも。ところが後日、これは猪木さんが意外な結末をリアルに演出し、それによってIWGPの価値を高めようという仕掛けだったことがわかった。猪木さんは誰にも自分の考えを告げずに完璧に一人芝居をやってのけたのだ。ただ、ここで一番戸惑ったのは、マッチメイカーであり、猪木さんを交えた坂口さんだった。レスラーが自分で試合に特別な考えを持ち込むときは、マッチメイカーと相談して了承を取るのが常識だ。(中略)あの試合の翌日、私が会社に行くと、坂口さんは「人間不信」と大きく書いた紙を残して姿を消していた。私は、誰に知らされるでもなく、その文字を見て、猪木さんの自作自演を直感した。それから数日間、坂口さんは会社に姿を現さなかった。》

《当然ながら、私たち全員が、金看板である猪木さんを勝たせるつもりでいた。当時のマッチメイカーは坂口さんだ。もちろん坂口さんは猪木さんの勝ちをシナリオに書き、レフェリーの私にもそれを伝えていた。誰もが猪木さんの優勝シーンを待っていたところへ、あのアクシデントが訪れたのだ。》

「猪木の一人芝居」を裏付ける証言

改めて言うまでもないが、この高橋本の反響は凄まじかった。その後、当時の関係者から続々と重大な証言が明かされる。
それらひとつひとつが明かされ、ファンに新たな衝撃を与えるとともに、「猪木が1人で演じた究極の演技」は、ほぼ確実であることの裏付けとなった。

新間寿氏 「アントニオ猪木の伏魔殿」

失神KOの翌朝、入院先である新宿区の東京医科大学病院の病室に行くと、ベッドには猪木ではなく、猪木の実弟の猪木啓介氏が寝ていた。絶対安静のはずの猪木は深夜1時過ぎ、病院を抜け出し、渋谷区代官山の自宅へ向かった。病院を抜け出した猪木に対して坂口征二は激怒し、「新間さん、俺、当分、会社へ出ないよ」と言って、「人間不信」と書いた紙を会社の自分の机に置き、ハワイかどこかへ行ってしまった。猪木は入院した翌日の午前には退院。病院を抜け出したことを詫びるため、猪木が退院してから2、3日後、新間氏が病院に挨拶に出向いたとき、担当看護師が試合をテレビで見たと伝えた上で、舌を出したままの失神は医学的に有り得ない、と伝えた。

桜井康雄氏「プロレススキャンダル事件史」

入院当日の夜、東京医科大学病院で張り込んでいた芸能リポーター梨本勝氏が、「今、猪木さんが奥さん(倍賞美津子)と一緒に病院を出て行きましたが」という電話連絡を東京スポーツ新聞社編集局で事後対応にあたる桜井氏あてにしてきた。桜井氏は梨本氏に口止めを願い、新間氏に連絡を入れる。桜井氏が後日、猪木にこの件を問うと、猪木は「脳震盪を起こしたのは事実。意識が回復してみると、寝つけず、家に帰りたくなって啓介に車を持ってこさせ、妻と抜け出した。家ではぐっすり眠れたが、朝早く、新間に叩き起こされ、明け方に病院に戻った」と話した。

結論まとめ

このように数々の証言を俯瞰した上で結論をまとめてみると、猪木は試合結果が分かっている予定調和を嫌い、また、IWGPという言葉を一般社会へ知らしめ、その評価を上げるため、そして、これからのスターになる可能性を秘めたハルク・ホーガンの名前を売るためにこのとんでもない「事件」を起こしたのではないだろうか。あのまま予定通りに猪木が優勝していたら、ここまでIWGPという言葉がファンの記憶に残るものになったのかは確かに疑問が残る。
プロレスを一般社会に受け入れさせるための猪木なりのやり方であったのではないかと考察する。

謹賀新年《特別企画》初対決1985.2.21 大阪城ホール 長州力vs天龍源一郎

あけましておめでとうございます。
いつも観て頂きありがとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いします。

さぁ、今年の一発目は、この記事でいきたいと思います。お正月なので、特別な記事を書きたいと思います。

初対決1985.2.21 大阪城ホール 長州力vs天龍源一郎

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いつも新日本プロレス関連の記事を書いているのですが、全日本プロレスも好きでよく見ていました。今日は、お正月なので、特別企画として、全日本プロレスの試合について書いていきたいと思います。(正確にはジャパンプロレス主催の試合ですが)

この試合、僕が観ててすごいなぁ〜と思ったのは、長州力が出した技の数です。
①バックドロップ
リキラリアット
③サソリ固め
この3つだけなんです。

〜それでは検証していきましょう〜

技が3つだけということは、それだけ天龍に攻められていたということでもあります。

試合開始前に天龍からラリアットを受けてゴングが鳴り、以降、天龍の猛攻にあってしまいました。
前半は天龍の攻撃になすすべなしです。

開始5分、やっと長州力のバックドロップが決まります。これをカウントツーで返す天龍。
そして、ロープに振ってからのリキラリアット!これはかわされますが、折り返しての2回目は見事に決まります。
そしてそのままサソリ固め、なんとか耐えた天龍ですが、そのまま場外へ。
そして、場外でのリキラリアット、エプロンでのバックドロップで長州力リングアウト勝ち!

そうです。これだけしか技を出していません。
①バックドロップ
リキラリアット
③サソリ固め
リキラリアット(場外)
①バックドロップ(エプロン)
きれいに折り返してますね笑

この3つだけで試合を成立させファンを喜ばせるあたりは千両役者の長州力、すごいなぁ〜と思います。

この試合は、ジャパンプロ開催というのもあり、ノーテレビでしたが、初対決はエプロンサイドでのバックドロップで長州力リングアウト勝ちしたというのは、知ってました。週プロで見たのかな?
長州力は、1984.12.8に全日本プロレスへ登場してますので、やっとといった感じの初対決でした。

この試合で天龍も延髄斬りや、トップロープからのダイビングエルボー、そして角度が危ないパワーボムを炸裂させています。

長州力は、鶴田ではなく、天龍とバチバチでしたので、楽しみにしていた試合だったのを覚えています。その時はなんでテレビでやらないのだろうと思っていましたが、ジャパンプロレスの主催で、大人の都合だったんですね。

大晦日《特別企画》俺たちの時代だ

皆さま、今年ももう少しで終わります。
2021年はどんな年だったでしょうか。
また、来年もどうぞ宜しくお願いします。

今回は大晦日特別企画として、以下を書いていきたいと思います。


プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。
そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。

俺たちの時代だ
~1985.8.5 長州力の名言~

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1985.8.5 ジャパンプロレス主催の「サマードリームフェスティバル」大阪城ホール大会。

この日は、長州力ジャンボ鶴田の初対決となる試合が予定されていました。
しかし、ジャンボ鶴田が欠場となってしまい、長州力の相手を誰にするのか、当日ファン投票を行って、谷津嘉章となりました。

ファン投票なら天龍源一郎だと思うのですが…

長州力率いるジャパンプロレスは、1984.12.8に全日本プロレスへ登場以来、全日本プロレスとの業務提携を行っていましたが、自主興行・完全独立を模索しながら戦っていました。
しかし、当時はテレビ局のバックアップなしでの黒字興行は難しく、TBSと水面下で交渉を行っていました。

TBSは長州力率いるジャパンプロレスのレギュラー中継を1986年4月から計画していました。
しかし、TBS上層部内にプロレス中継に嫌悪感を持っていた人物がいたこと、全日本プロレス中継(日本テレビ)が1985年10月にゴールデンタイムに復帰する際、日本テレビジャパンプロレスに好条件を与えたことから、TBSにおけるレギュラー中継は立ち消えとなりました。

この名言は、谷津嘉章との試合の後に長州力が行ったマイクパフォーマンスです。

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「もう馬場、猪木の時代じゃないぞ!鶴田、藤波、そして俺たちの若い世代の時代だ」

全日のリングに上がっている時期なので、ジャンボ鶴田天龍源一郎を指して「俺たち」と言うべきだろうが、藤波辰巳にも呼びかけたため、プロレスマスコミが一斉に取り上げられました。

長州力は、この後、新日本プロレスへ戻りますが、世代交代をずっと訴えていました。

1995.10.9 武藤敬司 VS 高田延彦《Uの遺伝子 4の字に死す》

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。
僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。
皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?

宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

今日はみなさんが、名勝負に必ずあげている伝説の10.9武藤・高田戦を書いていきたいと思います。

激突!!新日本プロレスUWFインターナショナル全面戦争 1995年10月9日 東京ドーム IWGPヘビー級選手権試合 武藤敬司 VS 高田延彦

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長州と安生の抗争(有名なキレちゃいないよ事件)があって(笑)、最後は武藤敬司が、格闘技路線の高田延彦をプロレスの最も古典的な技である足4の字固めでギブアップを奪うという、とんでもない結末でした。

当時はまだ格闘技とか、プロレスとかの境があやふやで、この試合は、今見るとプロレスなのですが、当時はそういったイデオロギーの戦いでもありました。

結末としては、格闘技(打撃や関節技)よりもプロレスの方が強いんだということを世間に知らしめたかった試合だったと思います。
結果は、色々な意味で、新日本プロレスの大勝利に終わったのですが、当時、猪木が解説の中で、「俺の気持ちを分かってくれるのはやっぱり長州だけだ」と言っていたのが、印象に残っています。

今みたいにネットもなかったので、この試合の結果は、電話サービスの様なもので、確認した記憶があります。

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握手からはじまり、興奮はこの大会の頂点に達します。
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当時は、ザ・プロレスでもある武藤敬司を応援していました。キングオブスポーツである新日本プロレスが最強だと信じていました。

そして、このドラゴンスクリューから、試合は動きます。
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足を負傷した!?高田延彦
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ここから、足4の字固めとドラゴンスクリュー地獄がはじまります。
たまらずギブアップする高田延彦
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スリーカウントや不透明決着などではなく、足4の字固めというプロレスの古典的な技で勝つというブックが、最高に素晴らしかったと思います。
この結末であるがゆえ、名勝負として、語り継がれることになったのではないでしょうか。
また、その演者が、プロレスの天才武藤敬司と当時のU最強戦士高田延彦であったこと。これも大きいと思います。絵になってました。

最後の「前田が泣いてるぞ」もこの演出には最強でした。

この後、Uの形は、プロレス界から消えていくことになります。

この試合の勝者にも敗者にも私は敬意を払いたいと思います。

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この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

《目次》

記事が多くなってきたので、目次を作ってみました。活用して下さい。

1990.6.12 ビッグバン・ベイダー VS スタン・ハンセン《超ド迫力の肉弾戦・ジュースもあるよ》

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。
僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。
皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

バトルライン九州 1990年6月12日 福岡国際センター IWGPヘビー級選手権試合 ビッグバン・ベイダー VS スタン・ハンセン

前回の東京ドームでは、右目を腫らして戦ったベイダーですが、今回も北尾との戦いの際、左目を4箇所骨折していると言ってました。
kent-wrestling.hatenablog.com


このためか、今回は、この後すぐに覆面は取って戦っています。
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しかし、ハンセンのウエスタンラリアートは、凄いですね。あのベイダーの巨体が一回転していました。
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左目よりも右目を気にするベイダー?!
エスタンラリアートか目に当たったか?
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その後は、ベイダーの猛攻がはじまります。
このベイダークラッシュは、ものすごかったです。
ベイダーは、アンドレ・ザ・ジャイアントと戦わせてみたかったですね。
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これは…ジュースのシーンが撮れていたので(笑)、誰がやってます?
このあと、ハンセンも流血しますが、この二人の戦いに流血は不要だと思います。
これには少し冷めました…
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エスタンラリアートをかわした後、ものすごいベイダークラッシュを連発しますが、なんとかカウントツーで返すハンセン。
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場外での鉄柱に押さえつけられてのベイダークラッシュを間一髪避けて、カウンターでのウエスタンラリアート
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その後は、ブルロープも持ち出して、いつもの感じで、両者反則の引き分けでした…
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そうはいっても、この両雄のド迫力対決は、パワー対パワーで見応えがあります。
試合内容では、この試合もベイダー有利だったでしょうか。

この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

1989.2.22 アントニオ猪木 VS 長州力《ファイター猪木の終焉》

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。
僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。
皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。


今日は、猪木が長州力に完全なピンフォール負けを喫したこの試合です。

スペシャル・ファイト・イン国技館&ビッグファイト・シリーズ 1989年2月22日 両国国技館 アントニオ猪木 VS 長州力

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この半年前に札幌で一度、長州力アントニオ猪木からピンフォールを奪っています。
88サマーファイト・シリーズ&スーパー・マンデーナイト・イン・ヨコハマ 1988年7月22日 札幌中島体育センター IWGPヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦 アントニオ猪木 VS 長州力

この間にも一度シングルマッチをしており、この時は、猪木の反則負けでした。
体力的にも格的にも、長州力には勝てなくなってきてしまったアントニオ猪木


この試合もやはり、脂の乗り切った長州力が終始優位に試合を進めます。

試合開始直前のロープを背負ってこの態勢、長州力のこの動き好きです。
この日は、興奮しているのか、ロープがしなるほど揺らしていました。
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試合序盤、時折出す長州力のフライング・ヘッドシザース長州力にはあまり似合わないこのテクニック系の技ですが、この技なんで長州力使うんですかね?僕は好きですが。
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そして、バックドロップ。
少しづつ試合が動いていきます。
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新日本プロレス独特のブリッジの攻防ですが、猪木のブリッジ…全盛期のそれにはやっぱり届かないですね。
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延髄斬りを出す猪木。
このあたりから、アントニオ猪木の見せ場があります。
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そして、ナックルアロー。
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猪木のクライマックスは、ここですかね。
延髄斬りの3連発。
しかし長州力は、カウントスリーで返します。
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長州力の独特のストンピング、この二人の戦い、歴史を感じます。
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猪木のブレインバスターも往年の高さはありませんね。
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そして、試合は終盤、ついに動きます。
この大木を引っこ抜くようなバックドロップ。
長州のバックドロップは、本当に芸術的だと思います。
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ここからが圧巻のリキラリアット6連発です。
1発目
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2発目
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3発目
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4発目は、珍しく左腕でのラリアットです。
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5発目は後ろからの後頭部へのリキラリアット
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そのまま、返す刀で、正面からのラリアット
カウントスリーで長州力の完全勝利でした。
受けきった猪木も凄い。
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長州力(15分29秒 体固め)猪木✕

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この後、猪木は号泣します。
ファイター猪木の終焉。
この試合はそういった意味のある試合だったのかも知れません。
この場面で泣ける猪木だからスーパースターになれたのだと思いました。

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試合後、長州力は、「ありがとうございました」と頭を下げた。
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この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」を読みました

おはようございます。
今日は、「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」をメルカリで購入して、読み終えたので感想を書きたいと思います。


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著者は、真説長州力の方と同じ、田崎健太さんです。
裏表紙のあらすじは、以下でした。

プロレス史上最高のスター・タイガーマスク佐山サトルはいかにしてその座に就き、そして離れたのか。謎として語り継がれるプロレス時代の「事件」の真相。総合格闘技の先駆者として生み出した「修斗」との訣別の理由。本人をはじめ親族から大物格闘家まで、膨大かつ濃密な取材で佐山サトルの本質に迫る。業界最大のタブーと言われる「孤高の虎」に正面からぶつかった、覚悟のノンフィクション。

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個人的には真説長州力の方が面白かったです。


1.良かった点
マーシャルアーツのマーク・コステロとの格闘技大戦争の試合や、その後のサミー・リー時代、そして黄金のタイガーマスク時代は、とても興味深く読めました。
その後の結婚・クーデター事件、新日本プロレスからの退団、UWF時代も良かったです。
僕的には、このあたりが詳しく読むたので満足です。
下に書いている悪かった点は、個人の素直な感想なので、ご容赦下さい。


2.悪かった点
いや、決して悪いのではないのですが、プロレス以外の期間が長かったせいか、シューティング、修斗以降はあまり…
僕的には、全くとまでは言わないですが、興味がなかったのと、登場人物も知らないのと、読んでいて、なんか悲しくなったりもして、境遇的にも読むのが辛くて、途中で読むのを止めました…
最初の部分もオリンピックの長州力とは違って、興味も持てなかったです。
そうですね、悪いのではなく、僕の興味がないと言うことだと思います。
UWF以降に興味がある方には、いい本だと思います。


3.全体的な感想
タイガーマスク時代の佐山サトル以外も詳しく知りたい方にはおすすめです。
そうでない方は、どうでしょうか…
まだ成功した内容であればいいと思うのですが、タイガーマスクが好きで、佐山サトルが好きな方は、辛いかも知れないですね。
佐山聡と言う人間が真面目で純粋であることはよく分かりました。
それだけに読むのが辛くなってしまいました。