《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

新日本プロレス10大事件

長州力が新日本プロレスを離脱

選手・フロントの離脱を招き、数々の禍根を残したクーデター事件。その流れのなか、1983年11月に新日本を退社した元営業部長・大塚直樹(クーデター派)が「新日本プロレス興行」を設立する。 この会社がUWFと同じく、のちに新日本と深い因縁を残すことにな…

「外国人選手引き抜き」戦争

81年、全日本プロレスとの仁義なき引き抜き戦争が勃発した年である。5月7日、京王プラザホテルにおける『第4回MSGシリーズ」前夜祭の席で新間氏が全日本のトップ外国人、アブドーラ・ザ・ブッチャーのIWGP参加を発表。翌8日、川崎市体育館にブッチャー本人が…

「猪木VSアリ」世紀の一戦

1976年6月26日土曜日に行われた猪木対アリ戦の当時の評価は 「世紀の凡戦」だったと言う。確かに今、見てみても退屈な試合に見えてしまう。そもそも、この対戦が実現するきっかけとなったのは、1975年3月にアリが当時の日本レスリング協会の八田一朗会長に「…

新日3大暴動事件《たけしプロレス軍団》

この3大暴動事件のなか、最大の暴動と呼ばれるのが、1987年12月27日の両国国技館大会で起きた、たけしプロレス軍団、通称TPGを原因とした暴動である。

新日3大暴動事件《海賊男》

1987年3月26日大阪城ホール INOKI闘魂LIVE PARTⅡ 1987年3月26日に大阪城ホールで行われた猪木対マサ斎藤の試合に、謎のマスクマン「海賊男」が突如乱入。マサ斎藤と自身を手錠で繋ぎ、控室まで連行してしまうという事件が起きた。その後、マサ斎藤は試合に復…

新日3大暴動事件《長州力乱入》

1984年6月14日の蔵前国技館で行われた第2回IWGP優勝戦で起きた通称「蔵前暴動」。 その優勝戦で猪木とホーガンが対戦し、2度の両者リングアウトの後、再延長戦で長州が乱入し、両者をKO。セコンドたちによってリング上に運び込まれた猪木が勝利を手にすると…

第1回IWGP優勝戦《猪木舌出し失神事件》

第1回IWGP優勝戦猪木舌出し失神事件。 IWGP決勝リーグ戦 IWGP決勝リーグは5月6日 福岡スポーツセンターで開幕した。開幕戦の目玉カードは、猪木とアンドレの対戦だったが、猪木がショルダースルーでアンドレを投げた際、アンドレの体が場外フェンスを越えて…

新日本プロレス 1983年クーデター事件《後編・結》

まあ、私の場合、物事に対して生まれながら寛容な部分ってあるんですね。 試合の中では別ですけど、ひとつ問題が起こると、それが組織にとって非常に重大なことであっても、なんとなくそれを許容してしまうんです。

新日本プロレス 1983年クーデター事件《中編・転》

山本小鉄は「社長のアントニオ猪木、副社長の坂口征二、営業本部長の新間氏を失脚させて新日本を改革する」と内部改革を言い出したことで、当初構想に掲げていた新団体設立へと動いていた大塚直樹氏との間に亀裂が生じていました。 新団体設立の資金調達は、…

新日本プロレス 1983年クーデター事件《中編・承》

1983年6月30日 第12回定時株主総会の事業報告書を見た営業部長の大塚直樹氏は、その不信感から、翌7月1日 山本小鉄へ相談をしました。 山本小鉄もまた、アントンハイセルへ資金が流出し、選手や社員への還元がされていないと感じ、現状に不満を持っているこ…

新日本プロレス 1983年クーデター事件《前編・起》

1983年当時新日株主だった営業部長の大塚直樹氏が1983年6月18日に行われた株主総会に出席したことより、20億円の売上がありながら、経常利益が1億2千万円、配当無しにもかかわらず、繰り越しが750万円という決算発表に疑念を抱き、やがて、その不透明なお金…