《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

もう何年続くか、何年これが 飛龍革命藤波辰巳が猪木に逆らった!

プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。

そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。

もう何年続くか、何年これが
~1988.4.22 藤波辰巳の名言~

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ご存知《飛龍革命》時の藤波が言った言葉です。

1988年4月22日 奥武山体育館 アントニオ猪木藤波辰巳 VS ビッグバン・ベイダーマサ斎藤

ベイダーにコテンパンにやられた猪木と藤波。

試合終了後の控え室にて、その事件《飛龍革命》は起きました。

(何故かテレビカメラが入っています笑)

長い沈黙の後、藤波がはじめて猪木に噛みつきました。
藤波の言葉は聞き取りにくいのですが、以下の様なことを言っています。



藤波「ベイダーとシングルでやらせてください、今日僕は何もやってないです、もういい加減、許してください」
猪木「あ??」

藤波「オレらは何なんですか、オレらは、もう何年続くか、何年これが」
自分に楯突いている事にやっと気が付く猪木。

猪木「だったら自分でブチ破れよ、何でオレにやらせんだ」
藤波「じゃあやらせてください、いいですか?やりますよ大阪」
大阪でベイダーとやらせて下さいということ。

猪木「リングの上は戦いなんだからよ、先輩も後輩もない遠慮されても困るよ、なんで遠慮するんだオマエ」

藤波「遠慮してんじゃないです、これが新日本プロレスの流れじゃないですか、そうじゃないですか?」

猪木「じゃあ、力でやれよ力で」
藤波「やります」
猪木「あぁ?やれるのか本当にオマエ!」
猪木が藤波にビンタ
なんと藤波も張り返す
藤波「もう何年続くか、何年」
ここが全く聞き取れません...恐らくこのようなことを言ってます。

猪木「あぁ?いけるかい?ええ?」
猪木が藤波の頬に手を添え仲直りしようとするが、それを振り払った藤波は、後ろを振り向き、床の薬箱からハサミを取り出し、自ら前髪を切り始める。

猪木「待て、待て、待て」

藤波「大阪で進退賭けます!それだったらいいですか?」
猪木「なんだっていいや、遠慮するこたねぇよ」

藤波「もういいです!」

アントニオ猪木も本当は早く藤波に新日本プロレスを任せたかったのだと思います。
1983年のクーデター時点では、まだ、若かった藤波ももうそろそろリーダとなって、新日本プロレスを引っ張っていって欲しいと思っていたのではないでしょうか。

ベイダーとどうなったかは、忘れましたが、この飛龍革命は、以下のアントニオ猪木戦で終演をむかえます。

1988年8月8日 横浜文化体育館 IWGPヘビー級選手権試合 藤波辰巳 VS アントニオ猪木

この試合で藤波は猪木に勝てはしなかった(時間切れ引き分け)のですが、実質、世代交代が行われた試合となりました。
引き分けでIWGPのベルトを防衛した藤波の腰へベルトをまく猪木。

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猪木が藤波を王者だと認めた瞬間でした。

いつの間にか、長州もリングサイドへやってきました。

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長州に肩車されて、リングを去っていくアントニオ猪木。泣いていました。

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どの時代、どこの世界においても、世代交代は必ず行われます。
素晴らしいシーンだったと思います。