猪木コラ、俺たちがてめえらを討ってやる、この闘いは!全日から新日へ 長州力のマイクアピール
プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。
そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。
猪木コラ、俺たちがてめえらを討ってやる、この闘いは!
~1987.4.27 長州力の名言~
1987年4月27日 両国国技館 アントニオ猪木 VS マサ斎藤の試合は、デビュー前の馳浩がセコンドにつくなか、はじまりました。
試合はグロッキー状態のマサ斎藤をさらに殴りつづける半狂乱のアントニオ猪木、見かねてタオルを投入する馳。
全日本プロレスから新日本プロレスへ戻ってきた長州が、観客席からセルリアンブルーのリングへ上がろうとしますが・・・
全日本プロレス・日本テレビとの契約が残っているため、長州はこの低いフェンスを乗り越えることは出来ませんでした。
小林邦明や保永昇男に羽交い締めにされていますが、実際には契約に阻まれています。
ジャパンプロレスを設立し、新日本プロレスを退団して全日本プロレスに行っていた長州力が、この試合を機に新日本プロレスへ戻ってくることとなります。
ガングリオンの治療を理由に全日本プロレスの試合を欠場した状態でありながら、1987年3月26日 大阪城ホール アントニオ猪木 VS マサ斎藤の調印式に斎藤の代理人として出席し、新日本プロレスへの復帰をにおわせる長州力。
最終的にはジャイアント馬場を裏切り古巣である新日本プロレスへの復帰を果たします。
この時の長州人気は凄まじく、時代の風雲児となっていました。
何故、新日本プロレスへ戻ったのか?
色々な事情、条件があったのだと思いますが、この行為により、キラーカーンやアニマル浜口は引退、谷津とも離れることになり、ジャパンプロレスは自然消滅してしまいました。
また、長州力が去った全日本プロレスも悪いことだけではなく、天龍源一郎が奮起し、ジャンボ鶴田との名勝負を繰り広げることになります。