僕と週刊プロレスと~栄枯盛衰~SWSバッシング
週刊プロレス(ベースボール・マガジン社)は1983年7月に創刊されている。
僕は、月刊誌(月刊プロレス、デラックスプロレス)の頃から、このベースボール・マガジン社のプロレス雑誌を購入しており、週刊プロレスも創刊号から買っていました。
当時は、週刊ゴングや週刊ファイトなど数多くのプロレス雑誌が発行されていましたが、情報とか内容とか、この雑誌が一番面白かったと思います。
栄枯盛衰
また、87年にターザン山本さんが編集長になってから、活字プロレスと言われるようになり、プロレスの試合自体よりもその前後の繋がりだったり、対戦カードの意味合いなどが多く書かれるようになり、ファンの知りたい裏情報に力を入れるようになったのではないかと思います。
その為、他の雑誌と比べ発行部数を伸ばしていき、独り勝ちの状態でした。
僕も週刊プロレスと週刊ゴングを2冊買って読み比べてみたことがありましたが、読みごたえはやっぱり週刊プロレスの方がありました。
そういう、独り勝ちの状態ではあったのですが、それにも陰りが見えはじめます。
そのきっかけはSWSの取材拒否だと思います。
(SWSバッシング)
SWSの取材拒否とは
プロレス団体とプロレス雑誌は、言わば運命共同体になります。
しかし、ターザン山本さん時代の週刊プロレスは、色々なプロレス団体から、何度か取材拒否を受けています。
1991年のSWSからの取材拒否です。
1990年メガネスーパーが、豊富な資金をベースにプロレス業界へ参入してきます。
そして、新たなプロレス団体SWSを旗揚げしました。
エースは全日本プロレスから移籍(引き抜き)してきた天龍源一郎だったのですが、この時、週刊プロレスは、このSWSと天龍源一郎に対して、かなりのバッシングを行います。
天龍は金で全日本プロレスを裏切ったとか、SWSの試合は面白くない等、そのバッシングは凄まじく、全否定です。
長期に渡りこのバッシングを受けたSWSは、週刊プロレスに対して、取材拒否を通告しますが、当時はファンも保守的なプロレス界(新日本プロレス・全日本プロレス)を守るため、週刊プロレス側の味方をしてしまった事もあり、2年余りでこのSWSは、崩壊してしまいました。
また、天龍は新たにWARと言う団体を設立し、プロレスを続けることになります。
これだけだと、週刊プロレスがプロレス界を守りきって勝った!ように見えますが、この事が後の衰退に繋がっていくことになります。
②夢の架け橋へ続く