《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

新日本プロレスが提言したIWGPとはなんだったのか

今日は、新日本プロレスのチャンピオンベルトでもある、IWGPについて書いていきたいと思います。


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IWGPとはインターナショナル・レスリング・グラン・プリの略称で、新日本プロレスが創り上げたチャンピオンシップといったものでしょうか。

このIWGP構想が出てきた経緯は、当時の新日本プロレスが置かれた状況が大きく影響しています。
1970年代から80年代初頭の世界のマット界は、NWAと言うアメリカのプロレス組織が世界の最高峰とされていました。

このNWA世界王者こそがプロレスの頂上と言ってもいいくらいの組織・ベルトでした。
当時の世界王者は、ハーリー・レイスやリック・フレアーだったと思います。
このNWAに加盟が許されていた日本の団体はジャイアント馬場全日本プロレスでした。

このため、豪華な外国人レスラーは全て全日本プロレスへ来日することとなり、新日本プロレスは、異種格闘技戦や、日本人対決をメインに興行をせざるを得ませんでした。

その後、なんとかNWAへの加盟は出来たものの、NWAの世界王者は、新日本プロレスのマットへは上がれないなどの制約があり、実際は何も変わりませんでした。

このため。世界王者が来日しないのであれば、自分たちでそれを創ればいい、世界最高峰の王者を決める(創る)と言う名目で、IWGP構想が提言されました。

それまでの新日本プロレスのベルトと言えば、NWFヘビー級のベルトでした。
当然、アントニオ猪木が保持しており、防衛戦を行っていましたが、このベルトを返上し、IWGP一本に絞ることになります。

世界で各地で予選の大会を行い?、各地区の代表?が参加することで、第一回の大会が、1983年に開催されます。
この?は、世界各地で予選が行われたかが分からないためです。
確か、前田明がヨーロッパ代表で出場していたと思います笑

参加したレスラーは一部新顔もいましたが、いつもの外国人メンバーでした笑
それでも、3年越しのこのイベントは大盛況となり、各会場お客さんを呼ぶことに成功します。

設立当初は、毎年5月、6月にリーグ戦を開催し、その勝者が、前年の勝者(IWGP王者)に挑戦するという形式を取っていました。
第5回大会まではこの形式で開催していましたが、以降は通常のチャンピオンベルトとして、防衛戦を行う形式に変化しました。

しかし、このIWGP決勝は呪われた決勝と呼ばれるほど、事件が起きます。
正確にはそういったアングル・ブックを実行してしまうのですが笑
当然、決勝は全てアントニオ猪木VS誰かです。

第1回アントニオ猪木VSハルク・ホーガン
1983年6月2日蔵前国技館
ホーガン(21分27秒 KO)猪木
この大会は、有名なエプロンでアックスボンバーを受けた猪木が、舌を出して失神してしまう事件が起きた大会です。

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誰もが猪木の優勝を信じていたので、中途半端な終わり方になってしまいましたよね。
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第2回アントニオ猪木VSハルク・ホーガン
1984年6月14日蔵前国技館
猪木(17分15秒 両者リングアウト)ホーガン
猪木(02分13秒 両者エプロンカウントアウト)ホーガン
猪木(03分11秒 リングアウト勝ち)ホーガン
この大会は、猪木がリーグ戦を制して、前年チャンピオンのハルク・ホーガンと戦うリベンジマッチとなりました。
しかし、1年後のハルク・ホーガンは、WWFの大スターとなっており、とても完全決着は望めませんでした。
両者リングアウトでの延長、延長の末、最後は長州力が場外でリキラリアットを猪木とホーガンへ敢行して、アントニオ猪木リングアウト勝ち。

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この結果に観客は暴徒化してしまい、新日本プロレス最初の暴動騒ぎとなってしまいました。
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第3回アントニオ猪木VSアンドレ・ザ・ジャイアント
1985年6月11日東京体育館
○猪木(13分50秒 エプロンカウントアウト)×アンドレ
この大会はトーナメント戦で行われました。
アンドレがトーナメントを制して、猪木との決勝戦に駒を進めたが、ロープに宙吊りとなってカウントアウト負け。
見慣れた顔ぶれで盛り上がりに欠ける大会となったため、翌年からリーグ戦形式に戻りました。
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第4回アントニオ猪木VSディック・マードック
1986年6月19日両国国技館

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○猪木(30分7秒 体固め)×マードック
この大会は、猪木がアンドレからはじめてギブアップを奪った試合と、藤波と前田の凄まじい試合が印象に残った大会でした。
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第5回アントニオ猪木VSマサ斎藤
1987年6月12日両国国技館
○猪木(14分53秒 体固め)×マサ斎藤
マサ斎藤のバックドロップを切り返して、猪木が完全勝利をおさめるのですが、猪木でもマサ斎藤でもなく、最後は長州力が主役となりました。

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試合終了後にリングに上がり、新旧交代を宣言し、ナウリーダへ反旗を翻したのが印象に残った大会でした。
この大会を最後にIWGPはタイトル化されます。
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