《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

1988.8.8 藤波辰巳 VS アントニオ猪木

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

今日は、飛龍革命の結末とでも言うべき、猪木対藤波の60分フルタイムドローのこの試合を書いていきたいと思います。

88サマーファイト・シリーズ&スーパー・マンデーナイト・イン・ヨコハマ 1988年8月8日 横浜文化体育館 IWGPヘビー級選手権試合 藤波辰巳 VS アントニオ猪木

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このシーンは、フルタイムドローの後、猪木が藤波をチャンピオンとして認めたシーン(世代交代のシーン)になります。

この時、猪木45歳、藤波35歳の時です。
この試合に引退を賭けたアントニオ猪木は、実況に旧友の古舘伊知郎を指名します。
古舘伊知郎の実況と猪木の勇姿が60分見れるこの試合は、完全保存版ですね。


握手を求める藤波を拒否する猪木。
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年齢、リーグ戦の疲れのせいもあってか、試合内容はやはり藤波の方が有利に進めていたと思います。

猪木は、ブレインバスターやバックドロップ、スリーパーホールド、後半は、延髄斬りや卍固めを繰り出し、勝利を狙います。
一方、藤波は、足4の字固めやサソリ固めで、猪木の足を攻めていましたが、基本は猪木の攻撃を受けていました。

猪木のスリーパーホールドで、何度か絞め落とされそうになっていましたが、その都度、こらえて最後は時間切れの引き分けでした。


試合の後、僕はこう思いました。

この試合はどちらかが勝って終わるのではなく、時間切れ引き分けが、100点満点の答えだったのではないでしょうか。

アントニオ猪木藤波辰巳のこれまでの関係や、藤波辰巳の性格を考えると、こういう結末での世代交代しかなかったのではないでしょうか。


アントニオ猪木は、この時のIWGP王者藤波に挑戦するためのリーグ戦(IWGPヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦)では、長州力ピンフォール負けを喫しています。

88サマーファイト・シリーズ&スーパー・マンデーナイト・イン・ヨコハマ 1988年7月22日 札幌中島体育センター IWGPヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦 アントニオ猪木 VS 長州力
長州力(7分55秒 体固め)アントニオ猪木

このまま、長州力藤波辰巳へ挑戦するのかと思いましたが、この後、猪木は、キムケン、マサ斎藤、ビックバンベイダーを倒し、藤波への挑戦権を獲得しました。

そして、このフルタイムドロー。
試合後、新日本プロレスのレスラーが自然とリングに集まりました。
長州力もいます。
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感動的なシーンですね。
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この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。