《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

新日本プロレス 1983年クーデター事件《タイガーマスク・佐山聡》

1983年新日本プロレス内部で元レスラー、レスラー、フロントによるクーデターが計画・実行されました。

このクーデター事件は、最終的には鎮圧されるのですが、これがきっかけとなり、UWF新日本プロレス興行(後のジャパンプロレス)の離脱へとつながっていきます。

その大きな渦の中で、タイガーマスク佐山聡)も自身の結婚問題、プロレスではなく格闘技への熱い思いから、このクーデターへ参加することになっていきます。

1.タイガーマスク引退

このシーンは、タイガーマスクの名前を変更し、新たなタイガーとして帰ってくることの報告を行っているシーンです。

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梶原一騎の逮捕に伴い、タイガーマスクの名前を変えたい新日本プロレスから、「タイガーマスクは新たなタイガーとして、戻って来ます」といった内容が発表されました。

しかし、この時、タイガーマスクは、引退を決意していました。タイガーの目は、うつろな目をしています。

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最後の試合は、寺西勇とのシングルマッチ

サマー・ファイト・シリーズ 1983年8月4日 蔵前国技館 NWA世界ジュニアヘビー級選手権 タイガーマスク VS 寺西勇

タイガーマスク引退試合となってしまったこのしあ、最後、タイガースープレックスでカウント3を見事に奪いました。

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リングを下りる際、心のなかで「さようなら」とつぶやきリングを去ったそうです。

そして、8月4日のこの試合の後、8月8日に新日本プロレスは、慰安旅行で、群馬県草津温泉に向かっている。
佐山は、当時の私設マネージャー的な存在だったショウジ・コンチャと草津温泉に現れ、2時間ほど新日本プロレス営業本部長の新間寿と話をし、翌日のサイン会のため、東京へ戻ったとなっている。

しかし、翌8月9日東京へ戻る列車の中で新間寿は、その電報・メモを受け取ることになる。

「シモノセキ ユクエフメイ イサハヤ」

これは、東京にいるの営業(伊佐早氏)からの伝言で、サイン会に来るはずのタイガーマスクが来ない。
「下関」とは、佐山の故郷である。
タイガーマスク消えたとは言えないため、下関と言う隠語を使っています。

その後、8月10日にタイガーマスクとショウジコンチャは、書面で契約解除の通知書を新日本プロレスへ送っています。
この日がタイガーマスクの引退日となるのでしょうか。

この書類には、以下の事が記載されていました。

(一) プロレス以外の催し物への出場報酬が話し合いなされていないばかりか、支払いを認めたものでも勝手に関連会社(アントン・ハイセル)に流用されて、タイガーに支払われていない。

(二)幹部らはタイガーマスクの人気を利用して得た莫大な利益を私利をはかって関連会社につぎ込み、しかも莫大な損失を出している。

(三)こうした事実はプロレスの健全な発展を願うファンの期待を裏切るものだ。よって、タイガーマスク新日本プロレスとの選手契約を解除する

僕たち当時のファンからするとタイガーマスクに戻ってきて欲しい、きっと戻ってきてくれると思っていましたが、佐山の頭にはもうプロレスはなく、新しい格闘技へ傾倒していくことになります。

2.クーデターへの関与

実際には、タイガーマスク自体がこのクーデターに積極的に関与したとは言えません。
1983年のクーデターと、このタイガーマスク問題は、別の問題であり、同じタイミングでこの大きな2つの問題が重なって発生していたと言うのが正確な事実でしょう。

当時、佐山は、得体の知れないショウジコンチャと言う人に私設マネージャーと言う形で、入り込まれており、上手く利用されていました。
新間寿でさえタイガーマスクと話すにはコンチャを通さないと話せないくらいに異常な状態になっていました。佐山が、第一次UWFに参加する際、UWFの浦田社長により、ようやく関係が切れています。
関係を切るために反社を利用したとして、浦田社長は恐喝で逮捕されています。

クーデターに関しては、社内クーデター派、新団体設立派、また、藤波辰巳からも直接誘われていたようです。
当時の視聴率20%超えは、タイガーマスクの人気によるものでしたから、当然だと思います。

結果として、このクーデターは、小鉄の資金調達失敗と、藤波辰巳の優柔不断により上手くいきませんでしたが、佐山としては、冷めた目で見ていたのかも知れませんね。

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3.まとめ

佐山聡とは、本当に真っ直ぐな格闘技好きの青年だったのだと思います。
世間知らずでコンチャに騙されたりしたようですが、格闘技への研究熱心さについては、誰も勝てないでしょう。

アントニオ猪木から

「お前を新日本プロレスの格闘技部門第一号にするから頑張れ」
この言葉を信じて、上手く行っていない新日本プロレス経営を立て直すため、タイガーマスクの仮面かぶり、自分のやりたい格闘技とは正反対の四次元殺法をやり続けることに疲れたのでしょう。

そんなタイガーマスクの気持ちも知らずに「なんで引退したんだ?」と裏切られた気持ちでいた子供の頃を思い出します。

タイガーマスクも中身は社会経験の少ない青年が演じており、若者が悩むのと同じように、結婚の事、自分のやりたい事、好きな事への情熱が強かったのだと思います。

最終的には、あれだけ批判したプロレスの世界に戻ってきますが、そこに至るまでの彼の人生を考えるとなんとも言えない思いになります。

こうやって考えるとタイガーマスクは、このクーデターには直接参加していたとは言えないのかも知れないですね。