《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

新日本プロレス 1983年クーデター事件《長州力》

1983年新日本プロレス内部で元レスラー、レスラー、フロントによるクーデターが計画・実行されました。

このクーデター事件は、最終的には鎮圧されるのですが、これがきっかけとなり、UWF新日本プロレス興行(後のジャパンプロレス)の離脱へとつながっていきます。

今回は、長州力の1983年クーデターへの関わりを書いていきたいと思います。

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1.新日本プロレスを退社

実はあまり話題にはなりませんでしたが、このクーデター時、長州力は既に新日本プロレスを円満に退社しており、フリーとして新日本プロレスのマットへ上がっていました。

この辺りの事が、あまり話題になっていないのは、長州力の退社発表の後、あのアントニオ猪木舌出し失神事件があったからです。

この事件は、長州がフリー宣言した事で、IWGP決勝の話題を長州に持っていかれないために、アントニオ猪木が起こした事件だとも言われています。
(なんの為にやったのか?真偽は不明です)

ただし、猪木は、自身が日本プロレスを飛び出して、東京プロレスを旗揚げしたことなどから、選手としての長州の気持を優先し、「フリーとなって新日のリングに上がればいい」と、長州のフリー宣言には、理解を示しています。

このフリー宣言に新日本プロレス営業本部長の新間寿は激怒し、日本プロレス界からの追放を猪木に提言しましたが、猪木としては、追放するよりも、フリーとして新日のリングに上げる事を選択しました。この時の長州人気は凄まじく、猪木もこの人気には一目置いており、長州なしでの興行は成り立たないと感じていたのだと思います。

長州としては、猪木の温情でフリーとなれたこと、また猪木・新間の二人には、50対2でも敵わないことを肌で感じており、どちらかと言うとアントニオ猪木寄りの姿勢でした。


2.血判状へのサイン

このように猪木寄りの姿勢でいた長州ですが、藤波辰巳から「新日本プロレスを良くするために協力してくれ」と熱心な誘いを受け、8月24日に血判状(団結誓約書)へサインしています。

この血判状には、以下の事が書いてありました。

《団結誓約書》
新日本プロレスにおいて、我々の望む改革ができた場合も、また、新日本プロレスを離脱し、新団体を結成する場合、いずれにおいても、今後全てに一致団結して対処していくことをここに誓約する。
昭和58年8月24日

この血判状は、クーデター自体が内部分裂(社内クーデター派、新団体設立派)してきており、一致団結し、決して個人の利益に走らないという事を示したものになります。

アントニオ猪木寄りではあったものの、藤波辰巳からの頼みを聞き入れました。
この20日程前、二人はベルトを賭けて戦っています。
その試合後の長州のインタビューは、藤波をリーダと認め、どんな状況になっても付いていくと言う気持を表しています。

「完敗だ。今日は何も言うことはない。彼は素晴らしいよ。これでスーパースターになったと言えるんじゃないか。ただ彼からベルトを奪えるレスラーがいるとすれば、それは俺だけだ。」


3.クーデターの鎮圧
長州力は、フリーの立場であり、また、どちらかと言うとアントニオ猪木寄りの姿勢でもありました。藤波辰巳長州力の猪木寄りの姿勢を感じ取り、アントニオ猪木に全てを話してしまいます。
一番口が軽かったのは、藤波辰巳だったのかも知れません。

結局、このクーデターは、テレ朝の天皇と呼ばれていた三浦甲子二(みうらきねじ)の鶴の一声により、鎮圧に向います。山本小鉄とテレ朝出向役員によるトロイカ体制は、約3ヶ月で元の猪木・坂口体制に戻る事になります。

但し、新間寿だけは、謹慎処分の後、新日本プロレスを退社することになりました。
新間寿を退社にまで追い込んで、自分も会社に残ることはできないと考えたクーデターの中心人物だった大塚直樹氏は、新日本プロレス株式会社を退社し、「新日本プロレス興行」と言う興行会社を立ち上げることになります。
この会社がUWFと同じく、このあと新日本プロレスとの間に禍根を残すことになります。

新日本プロレス株式会社は、新日本プロレス興行を兄弟会社と思っていましたが、大塚直樹氏は、この興行会社を、純粋な興行会社ととらえていました。中立の立場でどこの興行でも行うと言う考えです。

そこへ全日本プロレスから業務提携の話があり、大塚直樹氏はそれを受けるのですが、新日本プロレス側はそれを当然許しませんでした。
最終的には、新日本プロレス株式会社は、この新日本プロレス興行へ取引契約の解除を通告します。
これに対する報復として、大塚直樹氏は、絶縁状を叩きつけ、選手の引き抜きを公言します。
そうです、これが長州力の新日本離脱につながっていきます。


4.ジャパンプロレス設立
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これは、全日本プロレスジャイアント馬場が、長州力以下5選手(アニマル浜口谷津嘉章寺西勇小林邦昭)に対して書いた確約書になります。
最後の項目は、新日本プロレスでの1試合あたりの報酬の10%増を支払うと記載されています。これが決定打となり、長州力ジャパンプロレスへの移籍と全日本プロレスへの登場を決めることになります。


5.まとめ
1983年のクーデター事件は、無事に鎮圧された様に見えましたが、その後の、タイガーマスクの引退、新間寿の退社、UWF設立、ジャパンプロ設立へと流れていきました。
もしこのクーデター事件がなかったらどうなっていたのか?とても興味があります。

そして、長州力はこのあと、ジャパンプロレスを飛び出しまた、新日本プロレスのリングに上がるのでした…