《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

新日3大暴動事件《長州力乱入》

1984年6月14日蔵前国技館|第2回IWGP勝戦
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kent-wrestling.hatenablog.com

1984年6月14日の蔵前国技館で行われた第2回IWGP勝戦で起きた通称「蔵前暴動」。
その優勝戦で猪木とホーガンが対戦し、2度の両者リングアウトの後、再延長戦で長州が乱入し、両者をKO。セコンドたちによってリング上に運び込まれた猪木が勝利を手にするという結果に観客が激怒し、暴動が発生した。

「猪木さんのアングル」に反対なんてできませんよ」ミスター高橋氏はそう語る。

抜群のプロレスセンスを発揮してきたアントニオ猪木が「舌出し失神KO事件」以降、ファンの気持ちを読み間違えるようになる。

その象徴が3大暴動事件だった。

新日本プロレスのファンにとって神であった猪木が、神から人間に引きずり降ろされ、不信任を突き付けられた屈辱がこの3大暴動事件であった。

いずれのリングでも猪木の試合を裁いたのは、ミスター高橋氏。それもマッチメイカーとして、猪木の意向を確認して試合のアングルを構成した。今日までに多くの報道で内幕が明らかとなっているが、高橋氏の述懐をもとに改めて考証してみよう。


「長州の乱入、海賊男乱入、TPG、すべて猪木さんお得意のサプライズのはずでしたが、ファンは受け入れなかった。私は、猪木さんのカリスマ性が衰えていったのを目の前で見ていたわけですね。あの長州の乱入の前までは、猪木さんが自分で試合のアングルを勝手に予定変更しても、結果的にはファンとテレビ局の反応もよく、興行的にも成功、と大当たりさせてきた。思えば、前年の第1回IWGP勝戦の舌出し失神KOから、猪木さんのサプライズをつくる感覚も狂っていった気がします。あの結末のために、長州を乱入させるという展開にせざるを得なくなってしまった」

1984年6月14日の第2回IWGP勝戦での長州乱入のアングルは、マッチメイカーの高橋氏が猪木に提案したものではなく、猪木から高橋氏に提案したものであった。

第2回IWGP勝戦ハルク・ホーガン対猪木戦は、「1年前に屈辱の舌出し失神KOを喫した猪木が、ホーガンをどう料理するのか?」という、全国のプロレスファン注目のリベンジマッチだった。入場前売り券は、2カ月前の発売日に即日完売。当日券800枚は試合開始4時間前の午後2時半に完売し、入場できないファンのために国技館内の相撲教習所の横に100インチのプロジェクターを用意して、約300人が日本初のクローズド・サーキット方式で試合を生観戦した。

「ホーガンはこの年の1月、WWFヘビー級チャンピオンとなって、猪木さんといえども、簡単にピンフォールやギブアップを奪うわけにはいかなくなっていた。猪木さんは2度の延長戦の末、辛くもリングアウト勝ちしてIWGPのベルトを巻く、というファンをハラハラさせるアングルを描いたわけです。辛くもリングアウト勝ちはいいとしても、長州を乱入させ、ホーガンにラリアットを見舞い、ホーガンが倒れている隙にリングに猪木さんが上がる点は私も『エッ、ちょっとそのアングルは…』と思いましたが、オーナー社長でトップ選手の猪木さんにノーは言えませんでした」

猪木のアングルを高橋氏は、ホーガンと長州に伝える。
ホーガンが了承した後、高橋氏は長州に「メインの試合にちょっと絡んでくれる?」と頼んだ。
長州は「エッ、どんなふうにですか?」と。
アングルを伝えると、しばらく長州は考えてから、「これ、高橋さんがつくったの?」と言いました。「いや、猪木さんだよ」と伝えると、「そうですか。じゃあ、やるより仕方ないですね」と覚悟を決めたようでした。ふて腐れてまではいないけれども、明らかにやりたくない表情でした。社長の猪木さんの意向となれば、長州としてもやはり逆らえない。もし私がつくったアングルだったら、反対したはずです」

ファンが猪木に何を望んでいるかは、猪木よりも長州のほうが感じていたのだろう。
かくして、延長、延長、長州乱入の不透明な勝敗の行方に観衆は激怒。
リングにはモノが投げ込まれてキャンバスを覆い尽くし、花道の時計は破壊され、「金返せ!」「インチキだ!」の怒声が響くパニック状態に陥った。
暴徒と化したファンの鎮圧に蔵前署から警官18人が駆けつけた。それでも帰ろうとしない約1000人のファンは、国技館の中庭で決起集会を開き、坂口征二らに責任追及の詰問をするなど強硬な姿勢を見せた。「猪木神話崩壊」「ファンが初めて猪木にノーを突き付けた」という歴史的な日となり、2年続けて「呪われたIWGP」と呼ばれることになった。

「暴動が起こる直前でしたか、坂口さんから『控室に戻って、なるべく早く帰って欲しい。高橋さんがリングにいたら、揉めることになり収まらなくなる。俺が収めるから』と言われました。私はホーガンを含めて外国人レスラーを会社のバスに乗せ、京王プラザホテルに送り届けた。横浜の自宅へ帰ったのは日付も変わる頃でしたが、坂口さんから電話がありました。なんとかあの場は収めた、と。私が坂口さんから報告を受けていた頃、長州は六本木で泥酔するまで酒を飲んでいた、と後で知りました。苦い酒だったでしょう。このアングルがきっかけで、長州は猪木さんに愛想をつかし、新日本から離脱するわけです」


当時の専門紙誌は、「長州はなぜ、リング下にいたのか?」と検証し、ファンは「IWGPという権威ある王座を賭けた一戦にもかかわらず、延長、延長、再延長のていたらくに長州が激怒してたまらず乱入したのではないか」と真剣に議論したが、真相は長州が猪木の指示に従っただけだった笑