《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

昭和の新日本プロレスラーランキング《10位〜6位》

今日は、僕の好きな昭和のプロレスラーをランキング形式で書いていきたいと思います。
昭和の新日本プロレスのレスラーに絞って書いていきます。

みなさんも「このレスラーが好きだった」などコメント頂けると嬉しいです。

10位 藤原喜明
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まずは「関節技の鬼」と呼ばれた藤原組長です。
この写真は、第一次UWFを解散して、新日本プロレスへ戻ってきたときのものです。
新日本プロレスへUターンしてきたUWF軍団、UWFメンバーだけで、リーグ戦を行い優勝者が、猪木への挑戦権を得られるというものでした。
そのリーグ戦に前田日明を制して見事優勝した藤原喜明、一番脂が乗り切っていた時期ではないでしょうか。
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猪木には敗れてしまいますが、試合後、「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか」と前田日明が暴れまくったシーンは今でも覚えています。とても熱く迫力があるアングルでした。

9位 坂口征二
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次は、「世界の荒鷲」こと坂口征二です。
設立当初の新日本プロレスが潰れることなく、なんとか持ちこたられたのは、坂口が日本プロレスから新日本プロレスへ移籍したからだと思います。
坂口の新日本移籍とともに、NET(テレビ朝日)の新日本プロレス放映も決まりました。
しかし、坂口征二が脚光を浴びたのは、新日本初期の頃だけで、アントニオ猪木から一歩下がり、二番手となることを受け入れました。
自分の役目を理解し、裏方に徹したお陰で、新日本プロレスは無事に50周年を迎えたのではないでしょうか。
この写真は、猪木との黄金コンビとして、ゴッチ・テーズ組と対戦した時のものです。

8位 木村健悟
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8位にしたのは「稲妻戦士」木村健悟です。
この写真は、1985年のIWGPタッグリーグ戦で、藤波辰巳と組み、猪木・坂口組を破り、見事に初代IWGPのタッグ王者となった時のものです。
藤波辰巳が猪木から初めてフォールを奪ったインパクトのある試合です。
ブロディ・スヌーカ組が決勝戦をボイコットした為、それをかき消す様なインパクトのある試合が必要でした。
見事にその大役をやってのけたこの試合は、木村健悟のベストマッチと言えるのではないでしょうか。
その後はなかなかパッとしませんでしたが、昭和の新日本プロレスを盛り上げたレスラーの一人であることは間違いありません。

7位 マサ斎藤
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マサ斎藤は、アマレスの日本代表として、東京オリンピックにも出場した選手です。
明治大学坂口征二の同期でもありました。新日本プロレスでは、長州力率いる維新軍の名参謀としての印象が強いです。
この写真は、猪木との巌流島での対決のものです。長らく猪木のライバルとして、活躍していました。
海賊男やTPG等の暴動事件にも絡んでおり、それだけ、新日本プロレスの中心で活躍していたレスラーだったと思います。
バックドロップの名手で、マサ斎藤のバックドロップは本当に綺麗だったと思います。

6位 橋本真也
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6位にあげたのは、闘魂三銃士のひとり「破壊王橋本真也です。
橋本真也は、昭和ではなく、平成に輝いたのレスラーと呼ぶべきですが、どうしても書きたかったので、あげてしまいました。
トニー・ホームとの戦いや、天龍源一郎長州力との対戦は、どの試合も熱くさせてもらいました。
小川直也との抗争も面白かったと思います。
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橋本真也は、新日本を語る際、外すことが出来ないレスラーだと思います。

さて、5位からは、昭和の新日本プロレスの顔と呼べるレスラー達が連なります。

次回へ続く。