《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

昭和の新日本プロレスラーランキング《5位〜1位》

今日は、僕の好きな昭和の新日本プロレスのレスラーの続きとなる5位〜1位まで、書いていきたいと思います。

みなさんも「このレスラーが好きだった」などコメント頂けると嬉しいです。

 

5位 前田日明
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まずは、「新格闘王」前田日明です。

前田日明といえば、UWFやリングスをイメージしますが、新日本プロレス時代は、バリバリのプロレスラーでした。アントニオ猪木が、自分の後継者の筆頭と考えていたくらい、プロレスラーとしての素質はあったのだと思います。

しかし、プロレスラーとしての資質がある人間は、他レスラーの思う通りにはいきません。

前田日明もその性格により、新日本プロレスを飛び出す事になってしまいました。

型にはまったプロレスラーなんて見てて面白くないのも確かですよね。

第一次UWF崩壊後に戻ってきた際は、藤波辰巳との名勝負や、古舘伊知郎に世紀の大凡戦と言わしめたアンドレ・ザ・ジャイアントととの不穏試合、「新格闘王」の称号を得たニールセンとの異種格闘技戦。そして、最後の試合となる長州力へ顔面蹴撃事件件まで、約2年という短い期間でしたが、新日本プロレスを盛り上げてくれました。

リングスでなくて、プロレスラーを続けていたとしても大成功したのではないでしょうか。

 

4位 藤波辰巳
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そして、4位は、「炎の飛龍」藤波辰巳です。

藤波辰巳と言うプロレスラーを評価するのは、なかなか、難しいのかも知れません。ただ、間違いなく軽量級のプロレスを確立させたレスラーであることは間違いありません。

彼の繰り出す技にはドラゴンという呼び名が付き、ファンからも愛され、坂口征二と並んで、新日本プロレスを守ってきたプロレスラーの一人だと思います。

最後まで、プロレスラーとしては、No.1にはなれなかったイメージがありますが、相手を輝かせるプロレスが上手かったと思います。長州力もきっと藤波辰巳がいなかったら、ここまでブレイクすることはなかったでしょう。

そういう意味だと、 最優秀助演男優賞と言う言葉がピッタリなプロレスラーです。

 

3位 長州力
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ここから、ベスト3になります。3位は「革命戦士」長州力です。アマレスオリンピック代表から鳴り物入りで、新日本プロレスにやってきた長州力ですが、長い間くすぶっていました。

それが、藤波辰巳へのかませ犬発言以降、飛ぶ鳥を落とす勢いで、プロレス界を席巻していきました。

変わるきっかけ、当時の彼になにがあったのか、それは誰にも、本人にも分からないかも知れません。当然、オリンピック代表として、実力はあるので、くすぶっていた何かが爆発しただけ、当然の結果なだけかも知れません。

例えるなら、丁度いいタイミングでワインの栓が空いて、みんなが美味しく飲むことが出来た。ということだと思います。これは、早すぎても、遅すぎてもうまく行かなかったのだと思います。まさに時代に上手く乗ったのでしょう。

 

2位 タイガーマスク佐山聡
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そして2位は、みんな大好き初代タイガーマスクです。1位にするか迷ったくらいに素晴らしい昭和のプロレスラーだと思います。

タイガーマスクとしての実働は、2年ちょっとでしたが、子供だった僕の記憶の中に鮮明にその姿が思い描けます。

《1981年4月23日 蔵前国技館 タイガーマスク VS ダイナマイト・キッドのデビュー戦から、1983年8月4日 蔵前国技館 NWA世界ジュニアヘビー級選手権 タイガーマスク VS 寺西勇まで》僕がプロレスにのめり込むきっかけとなったプロレスラーです。

その後、色々な姿でリングには上がっていましたが、やっぱりあの頃(初代タイガーマスク時代)の佐山聡が、僕は一番だと思います。

 

1位 アントニオ猪木
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僕の好きな昭和のプロレスラー第1位は「燃える闘魂アントニオ猪木です。

本当に色々なドラマを僕たちに見せてくれました。

どのシーンが一番記憶に残っているか?そう思って考えてみました。

IWGPでの舌出し失神事件や、長州・藤波・前田達との新旧世代交代のシーンを思い出すのですが、どちらも主役は猪木ではなく、ホーガンや長州力です。

そういう意味だと、僕はアントニオ猪木の全盛期を知らない世代なのかも知れません。

それでも、1位にしてしまうのは、それだけ昭和プロレスのカリスマ的な存在だったのだと思います。

昭和プロレス=アントニオ猪木と言っても過言ではないでしょう。

プロレスでは誰もアントニオ猪木には敵わない。

これは当時のプロレスラー誰もが口にする言葉です。ファンを魅了するなにかを持っていたプロレスラーだったのだと思います。