80年代のプロレスとはなんだったのか
いつも見て頂きありがとうございますm(_ _)m
今日は、80年代のプロレスについて少し書いていきたいと思います。
《目次》
1.80年代のプロレス
僕はいわゆるプロレスヲタクなのですが、実は今のプロレスには、一切興味がありません。
新日本プロレスの公式動画配信サービスである「新日本プロレスワールド」に登録しているため、見ようと思えばいつでも見れるのですが、どうしても80年代のアーカイブの方を見てしまいます笑
80年代のマット界を今、振り返ってみると、空前のプロレスブーム(当時の新日本プロレス営業本部長の新間寿さんによると新日本プロレスブーム)だったと思います。
81年タイガーマスクデビュー、82年長州力のかませ犬発言、83年第1回IWGPリーグ戦の開催。
また、その後もクーデターによるタイガーマスク突然の引退、UWF・ジャパンプロレスへの分裂、そして再結合など、新日本プロレスの出来事は、マット界の話題を総ナメにしていました。
また、その後もアントニオ猪木から長州力への世代交代がなされ、猪木は第一線を退きます。
(アントニオ猪木の後継者は、藤波辰巳や前田日明かと思いましたが、現実としては、新日本プロレスを飛び出した長州力が後継者だったと思います。)
また、長州力(ジャパンプロレス)は、一時期全日本プロレスへ移籍したため、新日本プロレスだけでなく、日本マット界全体が活性化していくこととなります。
2.アントニオ猪木の存在
さて、なぜ80年代のプロレスが好きなのか、あらためて、自分の想いを考えてみることにしました。
その結果、たどり着いたのは、やはりアントニオ猪木です。
当時、タイガーマスクの四次元殺法、長州力と藤波辰巳の名勝負数え歌など、ファンの人気を集めるレスラー、対戦カードはありましたが、やっぱりそれはアントニオ猪木が居てこそのものだと思います。
8時50分テレビ中継の最後は、アントニオ猪木が延髄斬りで対戦相手を沈める。
(相手は誰でもよかったのかも知れませんね。)
水戸黄門の世界です。
ただそれが、非常に心地良く、ファンのストレス発散になっていたのだと思います。
いい方は悪いですが、アントニオ猪木のカリスマ性にプロレス業界全体が寄生している状態だったのではないかと思います。
あの6メートル四方のセルリアンブルーのリング上では、誰ひとり、アントニオ猪木以上にファンを魅了するレスラーはいなかったのでないでしょうか。
しかし、寄る年波には勝てず、猪木の引退とともにプロレスも衰退していったと思います。
3.プロレスにおける世代
力道山を第1世代とするとジャイアント馬場・アントニオ猪木が第2世代、鶴藤長天(※1)と前田日明が第3世代、プロレス四天王(※2)・闘魂三銃士(※3)が第4世代でしょうか。
坂口征二や木村健悟、馳浩や佐々木健介の名前はあがりません。
これは、やはりプロレスには格があり、格下と認識されていると言うことでしょうか。
このあたりは、色々と意見がありそうですが、代表と言ったら上記だと思います。
(注記)
※1 鶴田、藤波、長州、天龍
※2 三沢、川田、田上、小橋
※3 橋本、武藤、蝶野
フルネームでなくすみません。
この後は、僕にはよく分かりませんが、天山や中西、永田、秋山などでしょうか?
僕は、第4世代あたりまで、プロレスを見ていたのと思います。
年代で言うと90年代あたりまで。
長州力がいて、色々なアングル(Uインターとの対抗戦など)を仕掛けていたので、見ていました。
最後は、橋本対小川の一連のアングルを見て、虚しくなってしまい、プロレスファンを止めました。
その後、ミスター高橋によるいわゆる「高橋本」が発売され…衰退の一途をたどります。
この本に対しては、賛否両論あると思いますが、僕は、あまり良い印象はありません。
また、k1やPRIDEの台頭もあり、プロレスに冷めてしまったのも事実です。