《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

1985.6.13 アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?

宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

今回は、猪木とホーガンの最後の試合となってしまった、この試合について書いていきたいと思います。

ハルク・ホーガンとのIWGP 3年間の戦いの最終戦です。
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'85 IWGPWWFチャンピオンシリーズ 1985年6月13日 愛知県体育館 第3回IWGPヘビー級選手権試合 アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン

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アンドレ・ザ・ジャイアントリングアウトで破って、第3回のIWGP選手権に優勝したアントニオ猪木が、ハルク・ホーガンとのIWGPの防衛戦?を行いました。
IWGPベルトは、タイトル化していたわけではないですが、この試合は、実質的な防衛戦と言えると思います。

ハルク・ホーガンと猪木のシングルマッチは、1985年3月31日にレッスルマニアの第1回大会が開催されて以降、ホーガンは社会現象と呼べるほどの国民的人気を獲得し、この試合がアントニオ猪木との最後の試合となってしまいました。
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この時のハルク・ホーガンは、黄色のイメージですが、日本では、一番の黒パンツですね。
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若い時の蝶野正洋が付き人をしていますね笑
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WWFIWGPのベルトです。
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ゴングの前に猪木の延髄斬りが炸裂。
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この試合、ホーガンは、アックスボンバーを4回出します。

一発目はコーナーポストに釘付けの状態からのアックスボンバー。
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その後、カウント2で返した猪木をロープに振り、二発目のアックスボンバー。
これを間一髪かわす猪木。
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そのまま、場外へ落ちる二人。
そしてフェンスに釘付けの状態から、三発目のアックスボンバー。
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さらに鉄柱に打ち付けた後、四発目のアックスボンバー。
これをかわした猪木、アックスボンバーが鉄柱に誤爆
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そして、場外での延髄斬り。
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一瞬のスキをついてリングインした猪木のリングアウト勝ち。
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〇猪木(11分25秒 リングアウト)×ハルク・ホーガン

二人の最後の戦いは、猪木のリングアウト勝ちで終了しました。

この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

1984.6.14 アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン《第2回IWGP決勝・暴動事件》

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

今日は、アントニオ猪木失神舌出し事件から1年が経ち、ハルク・ホーガンへのリベンジが実現するはずだった、第2回IWGP決勝について書きたいと思います。
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結果としては、アントニオ猪木リングアウト勝ちするのですが、、、不透明な試合結果に納得いかないファンが、試合後に暴徒化してしまい、新日本プロレス初の暴動騒ぎとなってしまいました。


84IWGP 1984年6月14日 蔵前国技館 第2回IWGP勝戦 ハルク・ホーガンVSアントニオ猪木

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何故?
長州力がリングサイドにいます。
今考えると、これがファン大暴動の布石になっていたのですね…
この嫌な大役を押し付けられた長州が可哀想です…
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超満員の蔵前国技館
この当時の紙テープ量、凄まじいですね。
息子にこれ何と言われました。
ファンが紙テープを投げる風習今はないですもんね笑
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試合開始と同時に猪木コールの大合唱でした。
前回の舌出し失神事件からのリベンジを大勢のファンが期待しているのが分かります。
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試合は一進一退の攻防から、ホーガンのアックスボンバーをかわして、ドロップキック。
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その後、場外で揉み合い、お約束の両者リングアウトです。
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この判定の後、これも当時の新日本プロレスでは、お約束になりつつあった、延長です。
しかし、延長でもエプロンサイドでの両者リングアウト
血の魔術師ミスター高橋も困ってますね笑
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そして、再度の延長。
もう、リングアウトカウントいらないですよね笑
ここで、大事件が起きます。
また、場外でも揉み合うふたりに、長州力リキラリアットを敢行。
猪木にリキラリアット
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そして、ハルク・ホーガンにもリキラリアット
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この時点で、リングサイドのファンと若手レスラーの間で争いがはじまってます。
それを尻目に猪木をリングインさせるセコンドたち笑そりゃ、怒るわ。
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リングアウト負けに納得がいかないホーガン。
延長の際も両者納得の上でとなっていますが、明らかにホーガンは引き分け防衛を主張しているように見えました。それもブックなのでしょうが…
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猪木がマイクを持ちIWGPWWFの2本のベルトをかけてもう一度やろうといっているのだと思います。

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何故か握手をする二人。
ふたりは納得でしょうが、ファンは納得しませんでした…
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この後、ファンによる暴動が起こり警察が出動する騒ぎとなりました。


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こういった不透明決着に嫌気が差したファンがUWFの格闘路線へ流れて行く原因となってしまいました。

これも忘れられない名勝負(ブック)のひとつです。

この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。(暴動部分は見れません)
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

1983.6.2 アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン《第1回IWGP決勝・猪木舌出し失神事件》

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

今回は、有名なアントニオ猪木失神舌出し事件となった以下の試合について書きたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

IWGP決勝リーグ 1983年6月2日 蔵前国技館 優勝決定戦 アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン

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超満員の蔵前国技館
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IWGP構想というものが、1980年12月に正式発表され、3年越しのこの日、ついに決勝戦が行われました。

当時の僕はよく分からなかったですが、とにかく、ずっと猪木が言い続けていたIWGPのチャンピオンが今夜決まるということで、すごく楽しみに観ていた記憶があります。

今、考えると単なるリーグ戦の決勝なんですけどね。決勝戦は、ホーガンとの一騎打ちとなります。

当然、ブックとしてはアントニオ猪木の勝利で終わるはずです。
超満員のファンも全員その結末しか期待していません。

延髄斬りからの卍固めで猪木の大勝利。
こんな最後を想像しながら試合を観ましたが、とんでもない結末が待っていました…

また、話は変わりますが、ハルク・ホーガンは、この後、WWF(今のWWE)全米進出の主役となり、大スターへの道を駆け上がっていきます。

この時が、ブレイク前のホーガンの最後の姿です。
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この試合は、場外でのアックスボンバーから以降が全てです。
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後ろからのアックスボンバー
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その勢いで、鉄柱に頭をぶつける猪木。
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そして問題のシーンです。
エプロンにいる猪木に対して、リング内からのアックスボンバー。
猪木は、再度、場外にふっ飛ばされてしまいます。
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そのまま、失神してしまったようです。
セコンドが、猪木をリングにあげます。
おいおい笑
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全然目を覚まさない猪木に対して、坂口やキムケンが頭をゆすります。
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大喜びのハルク・ホーガン
俺が、一番だーとばかりに飛び跳ねて喜んでいます。
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猪木はというと、舌を出していますね…
失神したときに舌を出すことはありえないそうです…
なんちゅう、ことしてくれてんの笑
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斬新なブック破り、坂口はこの後、人間不信となったそうです。
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新間寿も訳が分からすといった顔。
ホーガンも俺やっちゃった?みたいな申し訳無さそうな顔をしています。
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名勝負ではなかったけど、40年近く経った今でも覚えているので、記憶に残る決勝戦になったことは間違いないですね?!
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この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

俺が業界のど真ん中を突っ走ってやる 長州力の黒歴史となってしまったWJプロレス

プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。

そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。

俺が業界のど真ん中を突っ走ってやる
~2002.10.10 長州力の名言~

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1998年に一度引退した長州力でしたが、大仁田厚からの挑戦をきっかけに2000年7月にプロレス復帰をはたしました。

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選手兼現場監督として、新日本プロレスを掌握した長州力ですが、それも長くは続きませんでした。
この時期の格闘技界は、新しい流れができつつありました。
K-1やPRIDEによる台本のない戦いです。
この黒船の来襲は、プロレス界にも大きな変化を与えました。

アントニオ猪木は、このK-1やPRIDEのリングへ新日本プロレスの選手を次々に上げていきます。
そして、それが結果として、プロレスの権威を地に落としてしまいました。
そういった新日本プロレスの流れに嫌気が差した武藤敬司は、新日本プロレスを飛び出し、全日本プロレスへと移籍します。
しかも選手としてだけではなく、そのまま社長へ就任してしまいました。

この責任を取る形で、長州力は現場監督を降ろされてしまいます。

これを機に長州も新日本プロレスを飛び出し、WJプロレスを立ち上げます。
長州力が目指したのは、かつての新日本プロレスを継承したストロングスタイルのプロレスでした。

そう、いつだって長州力が追い求めていたのは、このスタイルのプロレスです。

しかし、このWJプロレスは、借金だけを残し、崩壊してしまいます。
また、その借金は、長州力と他のプロレスラーとの絆までも奪っていくのであった。

この件については、プロレス界全体の黒歴史でもあるので、これくらいにしておきましょう。

1982.5.26 タイガーマスクVSブラック・タイガー

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。


今回は、みんな大好き初代タイガーマスクの名勝負について書いていきたいと思います。


ビッグ・ファイト・シリーズ 1982年5月26日 大阪府立体育会館 WWFジュニア・ヘビー級選手権試合 ブラック・タイガー(王者) VS タイガーマスク(挑戦者)

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当時、タイガーマスク対ブラック・タイガーなんて、本当にアニメの世界でワクワクしましたよ。

しかし、このブラック・タイガー、、、実力は本物でした。
タイガーマスクの名勝負と言えば、ダイナマイトキッドや小林邦昭を挙げる人が多いと思いますが、僕はやはりこの試合ですね。


この試合の前の1982年4月21日に初対決をしているのですが、この時は、両者リングアウトタイガーマスクがタイトル防衛をしました。
しかし、試合内容は、終始ブラック・タイガーが優勢に試合を進め、タイガーマスクの良さを全て封印していました。
タイガーマスクがこんなに苦しめられたのは初めてだったと思うので、当時、ブラック・タイガーは強いなと思った記憶があります。

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このツームストンパイルドライバー以降、タイガーマスクをあと少しのところまで、攻めまくります。
この技は、後に、暗闇脳天と言う呼び名で呼ばれることになります。

強いのは当然で、ブラック・タイガーの正体は、イギリスのテクニシャンプロレスラーであるローラボールマーク・ロコでした。
初代タイガーマスクこと佐山聡が、イギリス遠征時代、サミー・リーとして活躍していた頃のライバルでもあります。

この試合の後、ブラック・タイガーは、同年5月6日にはグラン浜田を破り、タイガーマスクの負傷による返上で空位となっていた同王座を獲得しました。


そして、この名勝負につながっていきます。

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赤コーナーに立っているのは、チャンピオンのブラック・タイガーです。

試合前半はタイガーマスクの良いところが目立ちます。

得意技のローリングソバットは何度見ても素晴らしいです。
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このブリッジもきれいです。
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もう、画面に入りきれません。
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サワーソルトキック、小鉄じゃまじゃま笑
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きれいですね。
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さらに高いローリングソバット!
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しかし、このあたりから、ブラック・タイガーのラフ&パワーファイトがはじまります。
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トップローブからの攻撃!
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ダブルアームスープレックス
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ブレインバスター!
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バックを取られてからの急所攻撃!
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ついに暗闇脳天が決まります。
このときに初めて暗闇脳天という言葉が古舘伊知郎の口から発せられました。
タイガーマスク大丈夫か?!
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しかし、一瞬のすきをついて、ツームストンパイルドライバー。タイガーのは高いですね。
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トップロープもひとっ飛びです。
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そして、ムーンサルトプレス
このとき、はじめて見ましたよ。こんな技。
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興奮です!
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なにやら言っているブラック・タイガー、もう一度戦えとか言っているのでしょうか?
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飛びかかってきたブラック・タイガーをベルトで叩くタイガー笑
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梶原一騎さんがいますね笑
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最後は不要ですが、、、
この試合は、初代タイガーマスクの名勝負のひとつだと僕は思います。

輝いていますね!
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この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

選ばれし者の恍惚と不安、ふたつ我にあり 第二次UWF旗揚げ時 前田日明の名言

プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。

そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。

選ばれし者の恍惚と不安、2つ我あり
~1988.5.12 前田日明の名言~

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新生UWF旗揚げの際に前田日明が言った名言です。
なんとなく詩人ぽいですよね。
それもそうです、フランスの詩人の言葉であり、太宰治も「葉」で使用した名言です。



1987年11月19日新日本プロレス後楽園大会において、サソリ固めをしている長州力の顔面を後ろから蹴って重傷を負わせた前田日明

この事件により、新日本プロレスを無期限出場停止となり、1988年3月1日新日本プロレスを解雇となりました。
解雇にまで至ってしまったのは、無期限出場停止を解除する条件が、メキシコ遠征で、これを拒否したため、新日本プロレスを解雇されてしまいました。



このあと、前田は1988年4月8日に赤坂東急ホテルにて記者会見を行い、新生UWFの旗揚げを発表します。
山崎一夫高田延彦、中野龍雄、安生洋二宮戸成夫の6選手での旗揚げとなりました。
その後、藤原喜明船木誠勝鈴木みのるが加入することとなります。


前田は旗揚げ戦の試合開始前にマイクでこの言葉を使いました。

当時のUWFは飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。
アントニオ猪木が第一線を退いたあとのまさに後継者と言える存在でした。

この言葉は、それに対する重圧から来ているのではないでしょうか?

山本、Uはおまえなんだよ UWFにバリヤーを張るターザン山本に長州力が言った一言

プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。

そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。

山本、Uはおまえなんだよ
~1990.11.21 長州力の名言~

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これは週刊プロレスの中で、ターザン山本長州力にインタビューしたときの発言です。
山本というのは、週刊プロレスの編集長だったターザン山本さんです。

今のUWFを作ったのは、山本、お前なんだぞ、と言いたかったのだと思います。
1990年のUWFは、第二次UWFの後半でしょうか。


長州は、なぜUWFを嫌っていたのか?
このインタビューを見ると、その意味が分かります。

「あいつらはプロレスの中にいるのか、外にいるのか?」
長州から、そう問われたターザン山本編集長は。
「中です。」と答えます。

それなのにUWFは、あたかも自分たちは、外にいる様なポーズを取り、自分たちは真剣勝負の格闘技をやっているかのような態度を取っている。
このあたりは、まだ、プロレスの裏の部分をハッキリと言えない時代背景もあったと思います。
そして、そのUWFを神格化してしまった週刊プロレス編集長ターザン山本の責任は重いと言っています。

要は、UWFだって結果が決まったショーであることを知った上で、雑誌の売上を伸ばすため、これは真剣勝負なんだと吹聴しているという事を言っているのだと思います。

当時は、アントニオ猪木が第一線から退き、プロレス人気にも陰りが出てきた頃であり、そこに現れたUWF、特に前田日明のカリスマ性に乗っかった感じでしょうか。

墓にクソぶっかけてやる 小学生並みの言葉でUに怒りをぶつける長州力

プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。

そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。

あいつらが○んだら、俺が墓にクソぶっかけてやる
~1994.2.15 長州力の名言~

長州力は、当時のメジャー団体である新日本、全日本プロレス以外は全否定をしていました。

「俺から言わせりゃ、あんなもんはプロレスじゃない。」

オリンピック代表を経て、新日本プロレス全日本プロレスで、体を張ってトップを走り続けてきた長州力だから言える言葉です。
特にインディー団体やU系の団体を毛嫌いしているようでした。

そんな中、1994年2月15日 新横浜グレイスホテルにて、UWFインターナショナルが、1億円トーナメントを発表。

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各団体のエース(三沢、橋本、天龍、前田、船木)に対して、このトーナメントへ招待する事を発表しました。
優勝賞金として1億円が、本当かどうかも怪しかったですが、事前になんの根回しもしておらず、前田が少し反応を示しましたが、誰一人として参加を受ける選手はいませんでした。今考えると当たり前なのですが…

その際に長州力が言った名言です。
あいつらとは、宮戸、安生、鈴木の三バカトリオのことだと思います。
(長州はこの3人をまとめて三バカトリオと読んでいました笑)

1992年頃にも新日本プロレスUWFインターは、一度揉めており、長州力の我慢も限界だったのでしょう。
しかし、この言葉は笑
それくらい、嫌いだったんでしょうね笑

1990.2.10 ビッグバン・ベイダー VS スタン・ハンセン《右目が腫れマスクを脱ぐベイダー》

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

今回はド迫力のぶつかり合いになった、’90スーパー・ファイトIN闘強導夢 1990年2月10日 東京ドーム 第9試合 IWGPヘビー級選手権試合 ビッグバン・ベイダー VS スタン・ハンセン。

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新日本プロレスは、長州対藤波や、猪木対ラッシャー木村など日本人対決を売りにしています。

しかし、時折、アンドレ対ハンセンや、アンドレ対ホーガンなど、夢の外国人対決をファンに与えてくれていました。
(また、別の機会に紹介したいと思います)

その中でも、このベイダー・ハンセン戦は、伝説の試合のひとつと言ってもいいでしょう。

この試合は、単なる超ヘビー級のド迫力対決というだけでなく、当時、全日本プロレスのナンバーワン外国人であったスタン・ハンセンと新日本プロレスの現役IWGP王者であるビックバンベイダーの対決でもありました。
坂口の社長就任に対する、ジャイアント馬場のプレゼントだと言われています。

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このことからも、完全決着はないだろうとは思いましたが、リング下で揉み合っても、お互いにリング内へ相手を押し入れて、リング内決着をしようとしている様にも見えて、期待も少しは持たせてくれました。

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途中、ハンセンの攻撃で、ベイダーの右目が腫れ上がってしまうハプニングがありましたが、それでも気力で戦うベイダーの姿は、素直に心を撃たれました。

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右目が腫れてしまいマスクを脱ぐベイダー

かなりの重症だった様ですが、解説の山本小鉄がこのくらいなら大丈夫ですと、何度も言っていました…

試合全体の流れでは、ベイダーの方が一撃の重みがあり、有利に試合を進めていたと思います。

何度も場外、リングイン、場外、リングインを繰り返していましたが、見せ場の一つであるハンセンのウエスタンラリアットがやっと決まってからは、早かったです。

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なんとラリアットを受けても倒れませんでした。
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両者リングアウト
内容的にはベイダー有利だったと思います。

最後は予想通りの結末となりましたが、ファンは十分に満足できたのではなかったでしょうか?

ビッグバン・ベイダー(15分47秒 両者リングアウト)スタン・ハンセン

この4ヶ月後、福岡でも両者は戦っており、この試合も、東京ドームに負けずオススメです。
こちらについてもまた、レビューしたいと思います。
どちらの試合も新日本プロレスワールドで観る事が出来ます。

バトルライン九州 1990年6月12日 福岡国際センター IWGPヘビー級選手権試合 ビッグバン・ベイダー VS スタン・ハンセン

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この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう かませ犬発言から下剋上を成功させた長州力の名言

プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。

そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。

俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう
~1983.4.3 長州力の名言~

ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾 1983年4月3日 蔵前国技館 WWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合 藤波辰巳 VS 長州力

○長州(16分39秒、体固め)藤波✕


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熱い抱擁を行っているマサ斎藤長州力

かませ犬発言から、時代の寵児となった長州力だが、藤波とのシングルマッチではなかなか勝利を手にすることは出来ませんでした。

10月22日広島県立体育館
△藤波(20分34秒、ノーコンテスト)長州△

11月4日蔵前国技館 WWF認定インターナショナルヘビー級選手権試合
○藤波(12分8秒、反則勝ち)長州✕

いいところまで追い詰めるが、ピンフォールするまではいかない。


これが、プロレスの「格」というものなのでしょうか。
そもそも、この「格」とは何なのか?

プロレスは興行でもある。
レスリングの実力がある、オリンピックに出たそんなことはどうでもよく、お客さんをどれだけ呼べるプロレスラーかどうか。

これがプロレスの「格」なのだと思う。

この日、長州力は、明らかに「格」でも、藤波辰巳を超えた。
藤波よりもお客を呼んで、満足させられるプロレスラーになったと言える。

この後、長州の人気は、あのアントニオ猪木さえも凌駕することになる。