《僕と新日本プロレスと》新日本プロレスのブログ

主に80年代、90年代の新日本プロレスのアングル、名言を書いたブログです。

新日本プロレス 1983年クーデター事件《前編・起》

クーデターとは、フランス語で「国家の一撃」もしくは「国家に対する打撃」を意味し、既存の支配勢力の一部が、非合法的な武力行使によって政権を奪うことをいう。

血判状
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《前編目次》

1.まえがき

1983年新日本プロレス内部で元レスラー、レスラー、フロントによるクーデターが計画・実行されました。これは、その時の血判状です。

上段にレスラー・レフェリーの名前、下段にフロントの名前が記載され、(総18名)この血判状には、以下の様なことが、書かれています。

《団結誓約書》
新日本プロレスにおいて、我々の望む改革ができた場合も、また、新日本プロレスを離脱し、新団体を結成する場合、いずれにおいても、今後全てに一致団結して対処していくことをここに誓約する。
昭和58年8月24日

上段の名前は、山本勝(小鉄)、藤波辰巳吉田光雄(長州力)など。
また、下段の最初には、このクーデターの中心人物でもある大塚直樹さんの名前があります。


2.クーデター直前の新日本プロレス

当時の新日本プロレスは、タイガーマスクの存在、長州力のかませ犬事件を経ての藤波辰巳との名勝負数え唄、アントニオ猪木は、はぐれ国際軍団ラッシャー木村との抗争など、ファンの心を掴んだカードを提供しており、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
中でもタイガーマスクの人気は別格で、小学生だった僕も夢中になりました。

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毎週金曜夜8時のワールドプロレスリングは、日テレ「太陽にほえろ」、TBS「金八先生シリーズ」と同じ時間帯でありながら、20パーセントを超える視聴率を叩き出し、テレ朝のキラーコンテンツとなっていました。

1983年。
そんな絶頂期の新日本プロレスですが、内部では、赤字をたれ流すアントンハイセル問題、タイガーマスクの結婚問題、長州力のフリー宣言など、色々な不安要素を抱えていました。

上記問題を抱えながらも、本業の方は好調で、5月6日には、3年越しの念願でもある第1回IWGPシリーズを開催し(予定よりはかなり縮小してしまいましたが…)、各会場を超満員としていました。


3.クーデターの前兆

順調に進んでいた、IWGPシリーズでしたが、シリーズ後半となる6月に入ったあたりから、その不安要素が、徐々に芽を出し始めます。

まず、6月1日 長州力アニマル浜口新日本プロレスからのフリー宣言を行い(6月17日に辞表を提出)、またそのフリー宣言をかき消す様に6月2日 IWGP勝戦での猪木が舌出し失神事件を起こしてしまう。

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ここで「起こす」と書いたのは、この舌出し失神事件は、アントニオ猪木の自作自演ではないかと言われているからです。
猪木は、ハルク・ホーガンとの試合後そのまま救急車で、東京医科大学病院へ運ばれ、入院していますが、坂口征二山本小鉄新間寿氏が一人も病院におらず、記者会見が出来ない状態であったことが、それを証明していますね。

また、6月17日に辞表を提出した長州、浜口以上に新日本プロレスが頭を抱えていたのは、タイガーマスク佐山聡)の結婚問題です。
ドル箱スターだったタイガーマスクが結婚することで、新日本プロレス人気の下落を心配した新間寿氏と佐山聡の関係は、6月10日の時点で、すでに決裂している様でした。

1983年6月12日 メキシコシティ・エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス WWFジュニア・ヘビー級王座決定戦 タイガーマスクVSフィッシュマン
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上記、試合のため、メキシコに向かった、タイガーマスク新日本プロレス営業部長の大塚直樹氏ですが、遠征中に佐山の口から出るのは、新日本プロレスへの不満ばかりだったそうです。
タイガーマスクの生みの親でもある新間寿氏でしたが、大きくなりすぎたタイガーマスクのコントロールは出来なかった様ですね。


4.クーデターのきっかけ

そして、6月30日第12回定時株主総会に出席した当時の営業部長の大塚直樹氏は、その事業報告書を見てあ然としました。
売上(19億8741万円)に対する繰越金(725万円)が少ないこと、また、株主配当もなく、アントンハイセルのことについては、なにも記載がないことに不審を持ち、新日本プロレスからの独立を考え始めます。

これにアントンハイセル問題、タイガーマスク結婚・引退問題、長州力の新日退団、山本小鉄の新団体設立計画など、色々な問題が絡み合って、新日クーデターと言う大きなうねりが生まれました。

そして、アントニオ猪木不在のまま、7月1日 サマーファイトシリーズが開幕していきます…

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80年代のプロレスとはなんだったのか

いつも見て頂きありがとうございますm(_ _)m

今日は、80年代のプロレスについて少し書いていきたいと思います。



《目次》


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1.80年代のプロレス

僕はいわゆるプロレスヲタクなのですが、実は今のプロレスには、一切興味がありません。

新日本プロレスの公式動画配信サービスである「新日本プロレスワールド」に登録しているため、見ようと思えばいつでも見れるのですが、どうしても80年代のアーカイブの方を見てしまいます笑

80年代のマット界を今、振り返ってみると、空前のプロレスブーム(当時の新日本プロレス営業本部長の新間寿さんによると新日本プロレスブーム)だったと思います。
81年タイガーマスクデビュー、82年長州力のかませ犬発言、83年第1回IWGPリーグ戦の開催。
また、その後もクーデターによるタイガーマスク突然の引退、UWFジャパンプロレスへの分裂、そして再結合など、新日本プロレスの出来事は、マット界の話題を総ナメにしていました。
また、その後もアントニオ猪木から長州力への世代交代がなされ、猪木は第一線を退きます。
アントニオ猪木の後継者は、藤波辰巳前田日明かと思いましたが、現実としては、新日本プロレスを飛び出した長州力が後継者だったと思います。)

また、長州力ジャパンプロレス)は、一時期全日本プロレスへ移籍したため、新日本プロレスだけでなく、日本マット界全体が活性化していくこととなります。

2.アントニオ猪木の存在

さて、なぜ80年代のプロレスが好きなのか、あらためて、自分の想いを考えてみることにしました。
その結果、たどり着いたのは、やはりアントニオ猪木です。

当時、タイガーマスクの四次元殺法、長州力藤波辰巳の名勝負数え歌など、ファンの人気を集めるレスラー、対戦カードはありましたが、やっぱりそれはアントニオ猪木が居てこそのものだと思います。

8時50分テレビ中継の最後は、アントニオ猪木が延髄斬りで対戦相手を沈める。
(相手は誰でもよかったのかも知れませんね。)

水戸黄門の世界です。

ただそれが、非常に心地良く、ファンのストレス発散になっていたのだと思います。

いい方は悪いですが、アントニオ猪木のカリスマ性にプロレス業界全体が寄生している状態だったのではないかと思います。

あの6メートル四方のセルリアンブルーのリング上では、誰ひとり、アントニオ猪木以上にファンを魅了するレスラーはいなかったのでないでしょうか。

しかし、寄る年波には勝てず、猪木の引退とともにプロレスも衰退していったと思います。

3.プロレスにおける世代

力道山を第1世代とするとジャイアント馬場アントニオ猪木が第2世代、鶴藤長天(※1)と前田日明が第3世代、プロレス四天王(※2)・闘魂三銃士(※3)が第4世代でしょうか。

坂口征二木村健悟馳浩佐々木健介の名前はあがりません。
これは、やはりプロレスには格があり、格下と認識されていると言うことでしょうか。
このあたりは、色々と意見がありそうですが、代表と言ったら上記だと思います。

(注記)
※1 鶴田、藤波、長州、天龍
※2 三沢、川田、田上、小橋
※3 橋本、武藤、蝶野
フルネームでなくすみません。

この後は、僕にはよく分かりませんが、天山や中西、永田、秋山などでしょうか?

僕は、第4世代あたりまで、プロレスを見ていたのと思います。
年代で言うと90年代あたりまで。
長州力がいて、色々なアングル(Uインターとの対抗戦など)を仕掛けていたので、見ていました。
最後は、橋本対小川の一連のアングルを見て、虚しくなってしまい、プロレスファンを止めました。

その後、ミスター高橋によるいわゆる「高橋本」が発売され…衰退の一途をたどります。
この本に対しては、賛否両論あると思いますが、僕は、あまり良い印象はありません。
また、k1やPRIDEの台頭もあり、プロレスに冷めてしまったのも事実です。

4.まとめ

しかし、やっぱり、子供の頃に見たあの興奮は忘れられなくて、80年代のプロレスをついつい見てしまいます。

アントニオ猪木が繰り出す、ナックルパート鉄拳制裁、アリキック、腕折、延髄斬りや卍固めトップロープからのニードロップ、そしてコプラツイスト・・・

アントニオ猪木が、ラッシャー木村アンドレ、ハンセン、ホーガン、長州力を相手に戦っている姿は、いま見てもワクワクします。

こうやって考えてみると、80年代のプロレスとは、僕にとってはアントニオ猪木が全てだったのだと思います。

1994.9.23 アントニオ猪木 VS ウイリエム・ルスカ

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

今日の名勝負は、アントニオ猪木対ウイリエム・ルスカについて書きたいと思います。

G1 CLIMAX SPECIAL 1994 1994年9月23日 横浜アリーナ INOKI FINAL COUNTDOWN 2nd プロレス VS 柔道異種格闘技戦 アントニオ猪木 VS ウイリエム・ルスカ

猪木とルスカと言えば、このバックドロップ3連発の試合が皆さん記憶にあると思います。

1976年2月6日 日本武道館 格闘技世界一決定戦。
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ただ、当時、僕はまだ小さくて、この試合を生では見た記憶がなく、今回は猪木とルスカの最後?の試合を選ばせてもらいました。

70年代の両者の試合も新日本プロレスワールドで見たのですが、感想は、ルスカの演技はひどいでした笑

90年代のルスカの演技も大差はないのですが、、、この試合は、なんというか、ストーリーが面白かったです。


エプロンでのルスカのスリーパーホールドで猪木が落ちてしまい、何故か、すぐに担架が運び込まれ、猪木を控室へ連れて帰ろうとします。

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勝ちを確信し、喜ぶルスカ陣営。
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そこへ長州力が現れ猪木を目覚めさせます。
見えませんが、多分ビンタしています。
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目が覚めた猪木は、もうろうとしながらも、ルスカにトップロープからニードロップを放ち、そのままスリーパーホールドで逆に絞め落としてしまいます。

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ルスカの演技は下手でしたが、ブック自体は、なかなか面白かったです。

この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

俺はこの新日本プロレスのど真ん中に立っているんだぞいま!地に落ちてしまった新日本プロレスに対する長州力の熱い名言

プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。

そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。

俺はこの新日本プロレスのど真ん中に立っているんだぞいま
~2004.10.9 長州力の名言~

2002年5月に新日本プロレスを退団したあと、2002年11月にWJプロレスを旗揚げした長州力

しかし、WJプロレスは2年足らずで崩壊してしまい、その後、新日本プロレスへ復帰をはたします。

両国国技館のリングに上がった長州力

マイクを手にしてこうアピールしました。

カッコ良すぎるので、文字に起こしてみます。


「てめえら、この状態が何を求めているか分かるか?俺はこの新日本プロレスのど真ん中に立っているんだぞいま!この右腕を突き上げてるんだこら。俺なんだこら。(このあたり何言っているか分からないです笑)」

ここで永田がリンクイン。

「永田、よくお前だけ上がってきたな。天下を取りそこねた男がよく上がってきた。ひとつだけ聞いとけよ。中にいる人間が信頼されなくて、外に出て行った人間がこのど真ん中に立ったということは、分かるか?分かるか?(いつもの繰り返しです)俺を上げた人間が罪を背負うのか。今までこういう状態になったてめえらが罪を背負うのか。最後に一つだけ言ってやろうか。なあ?もし、見たくもねえ、聞きたくもねえ。次にこのど真ん中に立つときには、俺のパワーホール全開で、このど真ん中に立ってやる。分かったか!」

ここで、長州コールの大声援が起こります。
やっぱり長州力は、場の盛り上げ方を知っていますね。

この後、また、現場監督に復帰したようですが、もう、プロレスを見なくなった時期なので、その結果を考察することは出来ません。。

あの人は言うだけ番長 長州力の言動に怒りを示した前田日明

プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。
そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。

そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。

あの人は言うだけ番長
~1987.11.xx 前田日明の名言~

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これは、前田日明長州力に対して言った名言です。

1987.6.12 今こそ新旧交代だ!と明言して、世代交代を進めていた長州力ですが、突然、そのニューリーダグループを解散し世代交代を終わらせます。

俺はフライングするぞ!
俺が一番先にアントニオ猪木の首を取ると言って、あっけなく、この世代抗争は、終わりをむかえます。

これに対して、前田日明は、雑誌のインタビューで、嫌悪感をあらわにします。
そして、この名言が飛び出しました。

「あの人は言うだけ番長

長州力が火をつけた世代交代のせいでUWF内のグループも2分割されてしまい、世代交代が上手く行かないので、終わらせると言った長州力の行きあたりばったりの行動に嫌気が差したのでしょう。

この後、偶然だとは思いたいのですが、1987.11.19 前田事件が起こってしまいます。
試合中のカットプレーで、長州力の顔面(目)を長州力の見えない後ろから蹴ってしまう。
その後の態度もおかしく、わざとと言われても仕方ないと思います。
これについては別途書きたいと思います。

当時の感情論から言うと、偶然ではなく必然だったのかも知れませんね。

1981.9.23 アンドレ・ザ・ジャイント VS スタン・ハンセン《伝説の田園コロシアム》

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

本日の名勝負は、これを書きます!

ブラディ・ファイト・シリーズ 1981年9月23日 田園コロシアム アンドレ・ザ・ジャイント VS スタン・ハンセン

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この80年代の超大型外国人レスラーと言えば、アンドレ・ザ・ジャイアントハルク・ホーガン、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディがいました。

この大型レスラー同士の戦いは、日本人対決が多かった新日本プロレスではありましたが、アンドレ対ホーガンやアンドレ対ハンセンなど、超人気の試合でした。

アンドレ・ザ・ジャイアントを誰が倒すのか?

その可能性がある日本人レスラーだと、アントニオ猪木くらいしかいませんでしたが、ハンセンやホーガンは、それを期待させるものがありました。
(実際はブックがあるのですが、当時はそんな事知らなかったので)

アンドレ・ザ・ジャイアントを徹底的に痛めつけるスタン・ハンセン。
アンドレがここまでやられたことはなかったと思います。
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両者リングアウトの後、延長が決定。
しかも時間無制限で決着がつくまでやるということ。盛り上がりますよね!
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そして有名な?このシーン。
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アンドレの18文キックをかわした後の
(この頃はアンドレの足も十分に上がってますね)
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ラリアット!これは、ど迫力です!
この試合のクライマックス!
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リング下から青いサポーターを取り出すアンドレ、仕込んでるやん笑
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何故かミスター高橋ラリアット
ハンセンの反則勝ちです。
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結末だけをこうやって見ると、は?! となりそうですが、試合終了後も新日本プロレスお得意の暴動騒ぎにはならず、それどころが、ファンは大満足し、その後、外国人対決のベストバウトと言われる試合になりました。

それは、ハンセンもアンドレも全力を尽くした肉弾戦を展開していた事と、アンドレをここまで追い詰めたハンセンへの称賛の意があったと思います。

その後、延長すればファンが喜ぶと思い、猪木対ホーガン戦で何度も延長したあと、長州力の乱入でめちゃくちゃにした試合がありましたが、論外ですね。
ファンは試合内容をちゃんと見ています。
kent-wrestling.hatenablog.com


この後、スタン・ハンセンは引き抜き合戦のため、全日本プロレスへ移籍してしまうのですが、全日本プロレスでも鶴田、天龍、四天王と数々の名勝負を繰り広げており、最後まで日本のマット界で活躍をしてくれました。
間違いなく、日本マット界ナンバーワンの外国人レスラーだと思います。

スタン・ハンセン(8分26秒 両者リングアウトアンドレ・ザ・ジャイアント

延長戦:○スタン・ハンセン(4分22秒 反則勝ち)アンドレ・ザ・ジャイアント

この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

1986.10.9 前田日明 VS ドン・ナカヤ・ニールセン

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。

前田日明が新格闘王と呼ばれるようになったのは、この試合がきっかけと言っても過言ではありません。

INOKI闘魂LIVEパート1 1986年10月9日 両国国技館 プロレス対マーシャルアーツ異種格闘技戦 前田日明 VS ドン・ナカヤ・ニールセン

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この試合の後にも、アントニオ猪木VSレオンスピンクスの異種格闘技戦があったらしいです。
僕も見ていたはずですが、覚えていません…
この一戦の興奮が凄かったのでしょう。
この一戦により、前田日明アントニオ猪木を超えたと言われました。

この試合がファンを惹きつけたのは、ニールセンの重いパンチやキックをまともに受けながらも、逃げずにニールセンへ向かっていき、寝技に持ち込もうとするその姿に自然とファンの声援が大きくなりました。
今見ても、自然とのめり込んでしまいます。

この試合では、前田日明だけではなく、負けたニールセンの評価もかなり高かったと思います。
こういう試合こそ、お互いを高めていて、異種格闘技戦の鏡となる試合だったのではないでしょうか。


本当に名勝負と言える試合だったと思います!

この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

新日本プロレスが提言したIWGPとはなんだったのか

今日は、新日本プロレスのチャンピオンベルトでもある、IWGPについて書いていきたいと思います。


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IWGPとはインターナショナル・レスリング・グラン・プリの略称で、新日本プロレスが創り上げたチャンピオンシップといったものでしょうか。

このIWGP構想が出てきた経緯は、当時の新日本プロレスが置かれた状況が大きく影響しています。
1970年代から80年代初頭の世界のマット界は、NWAと言うアメリカのプロレス組織が世界の最高峰とされていました。

このNWA世界王者こそがプロレスの頂上と言ってもいいくらいの組織・ベルトでした。
当時の世界王者は、ハーリー・レイスやリック・フレアーだったと思います。
このNWAに加盟が許されていた日本の団体はジャイアント馬場全日本プロレスでした。

このため、豪華な外国人レスラーは全て全日本プロレスへ来日することとなり、新日本プロレスは、異種格闘技戦や、日本人対決をメインに興行をせざるを得ませんでした。

その後、なんとかNWAへの加盟は出来たものの、NWAの世界王者は、新日本プロレスのマットへは上がれないなどの制約があり、実際は何も変わりませんでした。

このため。世界王者が来日しないのであれば、自分たちでそれを創ればいい、世界最高峰の王者を決める(創る)と言う名目で、IWGP構想が提言されました。

それまでの新日本プロレスのベルトと言えば、NWFヘビー級のベルトでした。
当然、アントニオ猪木が保持しており、防衛戦を行っていましたが、このベルトを返上し、IWGP一本に絞ることになります。

世界で各地で予選の大会を行い?、各地区の代表?が参加することで、第一回の大会が、1983年に開催されます。
この?は、世界各地で予選が行われたかが分からないためです。
確か、前田明がヨーロッパ代表で出場していたと思います笑

参加したレスラーは一部新顔もいましたが、いつもの外国人メンバーでした笑
それでも、3年越しのこのイベントは大盛況となり、各会場お客さんを呼ぶことに成功します。

設立当初は、毎年5月、6月にリーグ戦を開催し、その勝者が、前年の勝者(IWGP王者)に挑戦するという形式を取っていました。
第5回大会まではこの形式で開催していましたが、以降は通常のチャンピオンベルトとして、防衛戦を行う形式に変化しました。

しかし、このIWGP決勝は呪われた決勝と呼ばれるほど、事件が起きます。
正確にはそういったアングル・ブックを実行してしまうのですが笑
当然、決勝は全てアントニオ猪木VS誰かです。

第1回アントニオ猪木VSハルク・ホーガン
1983年6月2日蔵前国技館
ホーガン(21分27秒 KO)猪木
この大会は、有名なエプロンでアックスボンバーを受けた猪木が、舌を出して失神してしまう事件が起きた大会です。

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誰もが猪木の優勝を信じていたので、中途半端な終わり方になってしまいましたよね。
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第2回アントニオ猪木VSハルク・ホーガン
1984年6月14日蔵前国技館
猪木(17分15秒 両者リングアウト)ホーガン
猪木(02分13秒 両者エプロンカウントアウト)ホーガン
猪木(03分11秒 リングアウト勝ち)ホーガン
この大会は、猪木がリーグ戦を制して、前年チャンピオンのハルク・ホーガンと戦うリベンジマッチとなりました。
しかし、1年後のハルク・ホーガンは、WWFの大スターとなっており、とても完全決着は望めませんでした。
両者リングアウトでの延長、延長の末、最後は長州力が場外でリキラリアットを猪木とホーガンへ敢行して、アントニオ猪木リングアウト勝ち。

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この結果に観客は暴徒化してしまい、新日本プロレス最初の暴動騒ぎとなってしまいました。
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第3回アントニオ猪木VSアンドレ・ザ・ジャイアント
1985年6月11日東京体育館
○猪木(13分50秒 エプロンカウントアウト)×アンドレ
この大会はトーナメント戦で行われました。
アンドレがトーナメントを制して、猪木との決勝戦に駒を進めたが、ロープに宙吊りとなってカウントアウト負け。
見慣れた顔ぶれで盛り上がりに欠ける大会となったため、翌年からリーグ戦形式に戻りました。
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第4回アントニオ猪木VSディック・マードック
1986年6月19日両国国技館

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○猪木(30分7秒 体固め)×マードック
この大会は、猪木がアンドレからはじめてギブアップを奪った試合と、藤波と前田の凄まじい試合が印象に残った大会でした。
kent-wrestling.hatenablog.com
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第5回アントニオ猪木VSマサ斎藤
1987年6月12日両国国技館
○猪木(14分53秒 体固め)×マサ斎藤
マサ斎藤のバックドロップを切り返して、猪木が完全勝利をおさめるのですが、猪木でもマサ斎藤でもなく、最後は長州力が主役となりました。

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試合終了後にリングに上がり、新旧交代を宣言し、ナウリーダへ反旗を翻したのが印象に残った大会でした。
この大会を最後にIWGPはタイトル化されます。
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1981.4.23 タイガーマスク VS ダイナマイト・キッド

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。


今日は、みんな大好き、初代タイガーマスクのデビュー戦について書いていきたいと思います。

WFFビッグ・ファイト・シリーズ第2弾 1981年4月23日 蔵前国技館 タイガーマスク VS ダイナマイト・キッド

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どうですか?(お客さん)
このマスク…笑

さて、このタイガーマスクのデビュー戦、子供だった僕は、テレビにかじりついて見ました。

40年経った今でも覚えています。
それくらい当時は衝撃的でした。

その時は、この変なマスクも全然気にならず、その軽快な動きに目が点になりました。

テレビアニメのタイガーマスクが本当に現れた様な感覚です。

それからと言うもの毎週金曜日の8時は、ワールドプロレスリングを見るのが日課になりました。
僕がプロレスを好きになったのもタイガーマスクがいたからだと思います。

ダイナマイト・キッドや小林邦昭寺西勇、ブラック・タイガー、ウルトラマン、ブラックマンなど、色々なライバルが登場するため、毎週楽しみに見ていました。

その中でもやっぱりダイナマイト・キッドとの戦いは、ハードでパワフル、かつ軽快と言う、見ている人を飽きさせない試合が多かったと思います。

このデビュー戦は、タイガーマスクの良さが際立っていましたが、今見ると、ダイナマイト・キッドも素晴らしい動きをしています。

思いっきりの良い、キッドのダイビングヘッドバット
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最後はジャーマン・スープレックス
こんなきれいな原爆固めは、タイガーマスクしかできないと思います。
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タイガーマスク(9分29秒原爆固め)ダイナマイト・キッド✕

この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。

1986.6.17 アントニオ猪木 VS アンドレ・ザ・ジャイアント

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。

僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。

皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。



今回は、アンドレ・ザ・ジャイアントをついにアントニオ猪木が成敗する試合です。

IWGPチャンピオン・シリーズ 1986年6月17日 愛知県体育館 第4回IWGPヘビー級王座決定リーグ戦Aグループ アントニオ猪木 VS アンドレ・ザ・ジャイアント

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おや、猪木のあたま、坊主頭ですね。

猪木はシリーズ中に雑誌「フォーカス」にスキャンダル写真を撮られたことに対する“男のケジメ”で丸坊主に。

まだ、この頃は緩かったとは思いますが、一応、反省しているという事でしょうか。

年齢的にもアンドレ・ザ・ジャイアントの商品価値が落ちてきており、このタイミングがアンドレに勝って、それが快挙となる最後のタイミングだったかも知れません。

快挙と呼ぶには、少し遅かったと言われていますが、このタイミングでも仕方ないと僕は思います。

この後、レッスルマニア3で、ハルク・ホーガンピンフォール勝ちしています。


アンドレの試合は、割と序盤は、固め技で退屈な時間が流れます。
ベアハッグだったり、首固めだったり。

この日も猪木の首を執拗に狙います。
普通のレスラーだと退屈な時間ですが、アンドレの場合は、全ての技が重く感じますね。
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アンドレをアームホイップで投げます。
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そして、腕ひしぎ十字固め。
腕固めへの布石でしょうか。
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しかし、また、首を攻めてきます。
この攻撃は地味ですが、かなり長い間この状態となっていて、猪木かなり辛そうでした。
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この場面で、山本小鉄さんが、アンドレの歯は40本あって、怪物だと解説していました笑
序盤から中盤は、アンドレ優位で試合が進みます。
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一瞬のスキをついて、トップロープからのニードロップ、猪木きれいに飛んでますね!
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腕へのアリキックです。
苦痛に顔を歪めるアンドレ
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そして延髄斬り!
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そのまま腕固めへ、行けー猪木!
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そして、ついに歴史的瞬間!
アンドレ・ザ・ジャイアントのギブアップシーンです!
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猪木史上初の快挙です。
アンドレ・ザ・ジャイアントからギブアップを奪いました。
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アントニオ猪木(9分30秒 腕固め)アンドレ・ザ・ジャイアント

この試合は新日本プロレスワールドで観ることが出来ます。
昭和プロレスファンの方は、登録して見てみてはどうでしょうか。